● 善人と悪人
ここでいう善人、悪人は道徳的な善悪をいっていません。この第三条の中であえて悪人を指す言葉を探すなら、次ページ2行目にある「煩悩具足のわれら(煩悩にまみれた私たち)」であり、それは人間の実像を示しています。ならば善人は人間の虚像を表す言葉と理解すればよいかと思います。
● 本願・ほんがん(阿弥陀仏の本願)
阿弥陀仏が法蔵菩薩として修行中に立てられた四十八願のうち、とくに十八願「もし我仏を得たらんに、十方の衆生到心に信楽して、我が国に生ぜんと欲して、乃至十念せんに、もし生ぜずんば、正覚を取らじ(もし私が仏となり得たとして、十方世界の生きとし生けるものが誠心、信心深い心、歓喜する心で、極楽浄土に生まれたいと願い、阿弥陀仏の名を声に出して十回念じたにもかかわらず、極楽浄土に生まれることができないなら、正しい覚りを得たとは言わない)」
つまり阿弥陀の本願とは「南無阿弥陀仏を称える者を必ず極楽浄土へ生まれさせ、成仏させる」という阿弥陀仏の誓願。
本願他力=阿弥陀仏の本願の働き
● 煩悩・ぼんのう
身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用です。貪・とん(貪欲)、瞋・しん(怒り)、痴・ち(愚痴) は、根元的な煩悩として三毒といいます。
具足・ぐそく 十分に備わっていること。 煩悩具足・ぼんのうぐそく 煩悩が十分に備わっている=煩悩にまみれた
● 自力・じりき
自分だけの力で修行して現世で悟りを得ようとすること。
自力作善・じりきさぜん 自力で善(悟り)を成し遂げる。独力で善を成し遂げられると思うこと。他力本願の反対語として使われます。
● 生死・しょうじ
この世に生きるすべてのものは、六道の世界に生と死を何度も繰り返して、さまよい続けるということ。= 輪廻転生
六道は生前の行為の善悪によって、死後に行き先が決まる六つの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)。