物狂 四頁

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直面の物狂(面をつけない素顔の物狂)は、能を極めた者でなければ十分に演じることはできない。顔つきをそれらしくしなければ物狂に見えない。かといって出来もしないのに顔つきを変えれば見られたものではない。(それは)物まねの極意とも言えるものだ。
直面の難しさ、物狂の難しさ、二つの難しさを同時に引き受けて、狂う場面の面白さを魅力にすることは、どんなに難しいだろう。よくよく稽古すべきである。
「直面」の条において、世阿弥は「直面は顔の表情はできるだけ自分らしく、取りつくろうことなく自然にせよ」と述べています。しかし、直面の物狂では、狂った顔つきでなければ物狂には見えません。狂った顔つきなど出来もしないのに顔つきを変えれば、見苦しく見られたものではありません。直面と物狂の二つの難しさを同時に引き受けつつ、狂う場面をその演目の魅力的な見せ場にすること、そこに物まねの極意があると世阿弥はいいます。しかし、その極意を極める方法については言及しません。ただ「よくよく稽古せよ」いうだけです。極意を極めるとはそういうことなのでしょう。自分自身で研究と工夫を重ねつつ稽古でそれを実践することでしか極めることができないのが極意なのです。「直面の物狂(面をつけない素顔の物狂)は、能を極めた者でなければ十分に演じることはできない」これは「役者は直面の物狂を会得することで能を極める(能の極意を極める)のだ」と理解してよいかと思います。
芸術にしろ武術にしろ、より難度の高い技に挑戦することによって発達してきました。上達するとはそれを意味する言葉です。極意を極めると簡単に言いますが、その極意自体が難度を高めていきます。極めるほどに遠のいていくのが極意です。世阿弥は「命に終わりあり、能には果てあるべからず。(人の命には終わりがあるが、能には限りがない・能は永遠である)」という言葉を残しています。「能には果てあるべからず」とは「極意には果てあるべからず」と解釈してもよいのではないでしょうか。
