中大兄・なかのおおえ 
中大兄皇子・なかのおおえのみこは、後の天智天皇です。父は舒明天皇、母は皇極天皇、皇極天皇は再祚して斉明天皇となったので、皇極天皇と斉明天皇は同じ人物です。大海人皇子・おおあまのみこ、後の天武天皇は同腹の弟でした。

大化元年(645年)に中臣鎌足・なかとみのかまたりらとともに 蘇我入鹿・そがのいるかを宮中にて討殺します。それを契機に皇極天皇が退位し、叔父の孝徳天皇が即位すると皇太子となり大化の改新と呼ばれる政治改革に着手しました。

中大兄皇子は孝徳天皇が亡くなった後も即位せず、一度退位した母皇極天皇が再祚して斉明天皇となります。そして引き続き皇太子として政務を担当しました。朝鮮半島への出兵(白村江の戦い)が失敗し、斉明天皇が崩御して七年、ようやく近江大津宮へ遷都して天智天皇として即位しました。改革を断行する強いリーダーシップを持っていましたが、政敵を次々に死に追いやる冷酷な一面がありました。

わたつみ
「わた」は海の古語、「つ」=「の」、「み」は「神」、「わたつみ」は「海の神」、転じて「海」や「海原」を意味します。

● 豊旗雲・とよはたくも
豊かに旗のようになびいている雲。「豊」は「豊葦原」「豊秋津洲」など美称として使われます。

● 入日さし・いりひさし
入り日が差し込んで

● 月夜・つくよ

あきらけくこそ
『明るく澄み渡ることだろう』原文の万葉仮名では「清明己曾」と表記され、「すみあかくこそ」「きよくあかりこそ」「まさやかにこそ」等、種々に訓読されていましたが、賀茂真淵が「あきらけくこそ」と訓じてからこれに従うことが多くなりました。