春夜・蘇軾

蘇軾は春の宵の一瞬をうつろいゆく中でとらえました。うつろいゆく中の春の宵のその一瞬こそが、千金に値するほど素晴らしいのです。花の清らかな香り、おぼろに霞んだ月、喧騒に包まれた楼台、ぶらんこのある中庭、すべてはうつろいゆきます。万物は流転し、すべては無常です。

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< 語句解説 >

うつろいゆく春の宵の一瞬の情趣

春の宵の一瞬、その素晴らしさは千金に値する。
どこからともなく漂ってくる清らかな花の香り、そしてぼんやりとおぼろに霞んだ月。
さっきまで歌声や管楽器の喧騒に包まれていた楼台も今は静まりかえり、かすかに人の声が聞こえるのみ。
着飾った女性たちが遊びに興じた中庭のブランコは、今は乗る人もなくただ静かに夜の闇に沈んでいく。


春は西の空に日が沈んだ後も薄絹をかけたような薄明かりがしばらく続きます。同時に宵の明星(金星)が輝き出て夜の始まりを知らせます。夕方から夜へうつろう春の宵の一瞬の情趣を、蘇軾は「春宵一刻値千金」と称賛しました。昼間目を楽しませてくれた花は、今は清らかな香りでその存在を知らせてくれます。日没後の薄絹をかけたような薄明かりは、おぼろに霞んだ月明かりに変わっていました。冬の間家に閉じこもっていた人々は春の陽気に誘われて一斉に街に繰り出します。歌声と管楽器の音を鳴り響かせていた楼台は、日暮とともに再び静けさを取り戻し、今は微かな話し声が聞こえるのみです。暖かな春の日差しをあびながら女性達がぶらんこ遊びに興じた中庭は、春夜の暗闇と沈黙の中に沈んでいきます。

蘇軾は春の宵の一瞬をうつろいゆく中でとらえました。うつろいゆく中の春の宵のその一瞬こそが、千金に値するほど素晴らしいのです。花の清らかな香り、おぼろに霞んだ月、喧騒に包まれた楼台、ぶらんこのある中庭、すべてはうつろいゆきます。万物は流転し、すべては無常です。

万物はゆっくりと時間をかけて変化していきます。同時にそれは一秒として同じものではありません。今の自分は一秒前の自分とは違う自分です。一秒の細胞の変化をみると、いくつかの細胞は新しい細胞に入れ替わっています。そんな細胞のレベルでは、一秒という時間は遥か長い時間の経過なのかもしれません。「春宵一刻」も、私たちが時間の経過としてとらえる四季の変化、一日の朝、昼、夕、夜の変化の中でとらえると、それはほんの一瞬です。春の日の夕方から夜へうつろいゆく一瞬、それが蘇軾の「春宵一刻」です。流転する万物をあるがままに見つめる時、人は「春宵一刻」に千金の価値を見出します。

うつろいの中にある美

王安石は、春の夜から明け方のうつろう様を「月移花影上欄干(月移りて花影欄干に上らしむ)」という名句で表現し「夜直」の最後を結びました。一方、蘇軾は春の夕暮れから夜にうつろうその一瞬を「春宵一刻値千金」という名句で称え「春夜」の冒頭を飾りました。

王安石と蘇軾が生きた時代の半世紀ほど前の日本で、清少納言は、春の情趣の素晴らしさは夜から朝にうつろいゆく一瞬にあると書き記しました。枕草子書き出しの一文「春は、曙」がそれです。「春は、曙。やうやう白く成り行く。山際、少し明かりて、紫立ちたる雲の、細く棚引きたる。(春はなんといっても夜から朝にうつろう瞬間が素晴らしい。あたりがだんだんと薄明るくなってくる頃。山際の辺りが少し明るくなって、紫がかっている雲が横に長く引いている様子などは本当に素晴らしい)」春宵も春曙も、うつろいゆく中でその見事さを際立たせます。

そして蘇軾の時代から七百年後、江戸時代中期の日本で与謝蕪村は次の句を詠みました。

春の夜や宵あけぼのの其の中に 蕪村

蘇軾は春宵の一刻を、清少納言は春はあけぼのを素晴らしいと詠ったが、ならば私は宵とあけぼをつなぐ春の夜を素晴らしいとしよう。

松尾芭蕉が杜甫を敬愛しその詩を好んでいたように、与謝蕪村は蘇軾を敬愛していました。特に赤壁賦を「赤壁前後の賦、字々みな絶妙」と絶賛しています。

蘇軾と王安石

蘇軾は四十九歳の時、南京で隠居し病気療養していた六十四歳の王安石を訪ねています。かつての政敵をわざわざ訪ねてくれた蘇軾に、王安石は「北山」と題する七言絶句の詩をおくります。下記はその現代語訳です。

北山は緑濃く、横の土手に水が張られている
真っ直ぐな堀、丸い池が艶やかな時節
落花を細かに数えられたのも、君が長くいてくれたからだ
芳草をともに訪ねて帰りが遅くなったものだったな

これに対して蘇軾も七言絶句で応えます。

驢馬で遠くはるかな長旅を続け荒れた池のつつみに入った
先生が病気になる前のお姿がふと目に浮かんだ
先生からここに三畝の宅地を求めるように勧められた
先生に教えを受けるのが十年遅すぎたとつくづく思うのだ

かつての政敵に「どうだ近くに引っ越してこないか」と声をかける王安石。なんとも微笑ましい話です。その誘いに「ああ、時間を十年戻せるなら、こんどこそ素直な心で王安石先生の教えを受けるであろうに」蘇軾の返事にもホロリとさせられます。

二人は政治的には対立していましたが、お互いの人格と能力に、ともに深い敬意を払っていたのです。