赤壁の賦・蘇軾

「賦」は韻文における文体の一つで、その起源を漢の時代にまで遡る文章スタイルです。文体の性格としては漢詩と散文の中間に位置するものですが、赤壁の賦はかなり自由な形式で作られており、要所で押韻する他は、散文に近い作品です。我が国でも名文として長く愛唱されてきました。

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欧陽脩の古文復古の運動

中唐の時代、韓愈と柳宗元の二人によって確立された「古文」という文章スタイルは、その後、宋代になって本格的に新しい文章スタイルとして定着していきます。それを牽引したのが、宋の文人官僚・欧陽脩(1007年〜1072年)でした。子供の頃に韓愈の文章と出会い、その奔放で力強くスケールの大きい文章に魅せられた欧陽脩は、官界に入り韓愈の文章を模範として古文復古の運動を展開します。しかし、欧陽脩の最大の功績は、この時代のエリート達を発掘し、世に送り出したことです。蘇軾(1036年〜1101年)、蘇轍(1039年〜1111年)、曾鞏(1019年〜1083年)の三人は、欧陽脩が試験委員長として科挙の大改革を断行した年の合格者です。蘇軾と蘇轍の父である蘇洵(1009年〜1066年)、そして政治家として名高い王安石(1021年〜1086年)も、欧陽脩が副宰相の時に二人を見出し登用しました。彼らは欧陽脩とともに古文の大家として名を成していきます。後に唐宋八大家と称せられる古文の文章家のうち、中唐の韓愈と柳宗元に加えられる宋の六名は、自らを除けば、すべて欧陽脩が見出した人たちです。その中でも、後世の評価が最も高いのは、なんといっても蘇軾(蘇東坡)です。

宋の改革と蘇軾

蘇軾が科挙に合格し官僚としての人生をスタートさせたのは、宋の四代君主・仁宗の時です。この時代は大体において太平無事な時代でした。しかし、平和の裏返しとして政治が硬直化し、社会経済の歪みが露呈し始めた時期でもありました。官僚数の増加と行政組織の肥満、経済格差の拡大、都市と農村の間の不平等、こうした問題が見え始めていたのです。しかし、こうした問題に当事者である官僚は本気で対処しませんでした。結果、国が成立した時に二百余名だった官僚の数は一万人を越え、軍隊も国初の十九万人から八十二万人に膨れ上がっていました。官僚たちの派閥争いが続く中で人件費は急増、財政の逼迫は深刻さを増していきます。度重なる増税により農村は疲弊し、農民の多くが多額の債務を抱える状態に陥ります。仁宗の後を継いだ英宗は、在位わずか四年で亡くなり、後継者として十八歳の若い神宗が即位しました。神宗は、まず人心の一新をねらって人事を刷新します。この時に抜擢されたのが王安石です。神宗は王安石を登用して大胆な政治改革に取り組みます。王安石を中心として立案、実行された改革は「新法」と呼ばれました。物価の調節を目的にした「均輸法」、農民に対して低利の融資をはかった「青苗法」、大商人の独占体制を是正した「市易法」など革新的な経済政策。他にも軍事、教育、農業と、その改革は多方面に渡りました。「新法」は、人民の利益を守ることを優先して実行された改革です。そのため、既得権益を持った大商人、地主、そして官僚たちから猛烈な反対運動がわき起こります。改革に反対する官僚グループは旧法派と呼ばれ、蘇軾は旧法派の有力メンバーと見られていました。法令による強制は人民の不幸につながるというのが、蘇軾が新法に反対する理由でした。蘇軾は新法を厳しく非難したため、二度にわたり僻地へ追放されます。最初の追放は、四十四歳の時、国政誹謗の罪で黄州(湖北省黄岡県)に五年間流罪となりました。

逆境の文学「赤壁の賦」

しかし、蘇軾の文学は黄州の地で大きな花を咲かせました。それが「赤壁の賦」です。「賦」は韻文における文体の一つで、その起源を漢の時代にまで遡る文章スタイルです。文体の性格としては漢詩と散文の中間に位置するものですが、赤壁の賦はかなり自由な形式で作られており、要所で押韻する他は、散文に近い作品です。我が国でも名文として長く愛唱されてきました。

名文電子読本で取り上げたのは、最初の書き出しの文章と、客(友人)が「この雄大で永遠に流れ続ける長江と比べれば、人間なんてまことに小さな存在であり、人生はほんの一瞬の夢の如きものにすぎないではないか」と語ったことに対して、蘇子(私)がそれに応える文章です。

「逝く者は斯の如くして、未だ嘗て往かざるなり」は、論語・子罕篇「子、川の上に在りて曰く、逝く者は斯の如きか、昼夜を舍めず」に拠り、「其の変化する者自よりして之を観れば、則ち天地は曾ち以て一瞬なる能わず」は、万物は一刻も止まることなく生成変化するという現象界を変化においてとらえる荘子の思想に拠っています。

ここで取り上げた二つの文章を、ぜひ暗記することをお勧めします。目を閉じて長江に浮かぶ小舟に乗って流れ行く自分を思い浮かべると、「白露江に横たはり、水光天に接す」情景が目に浮かび、「浩浩乎として虚に馮り風に御して、其の止まる所を知らずがごとく」感覚を味わうことができます。それは自分だけのオリジナルな情景であり、名文を読むことでしか味わえない感覚の世界です。「赤壁の賦」は、全文が名文とも言える素晴らしい作品です。一読ではなく、繰り返し繰り返し読むことをお勧めします。

参考文献
興膳宏著「中国名文選」 岩波新書
寺田隆信著「物語 中国の歴史」中公新書
森本哲郎著「生き方の研究」PHP文庫