おくのほそ道「旅立ち」・松尾芭蕉

おくのほそ道は名句・名文の宝庫であるだけでなく、俳句(詩)と散文を見事に結合させた、世界でも稀有な文芸作品です。

松尾芭蕉は「おくのほそ道」にそれまでの紀行文にはない様々な仕掛けを施しました。その結果、おくのほそ道は「俳諧紀行小説」ともいえる新しいジャンルの文芸作品として世に生まれ出ることになりまし
た。

この解説サイトは電子書籍にリンクが貼られていますが、電子書籍をダウンロードせずに読まれる方(主にスマートフォンで読まれる方)のために、電子書籍の表紙とページの画像、語句解説、朗読音声などが含まれています。

パソコン(Windows・Macintosh)又はiPadで読まれる方は、電子書籍をダウンロードしてお読みください。ダウンロードサイトは右サイドバーに表示されたURLをクリック又はタップすると起動します。

下の画像は電子書籍のページを画像で掲載しています。

下の画像をクリック又はタップすると、朗読音声が流れます。

下の画像で現代語訳を確認してください。


<語句解説>をクリック又はタップしてください。
本文中の重要語句を解説しています。

< 語句解説 >

蕪村画・Wikipedia

「行春・ゆくはる」から「夏の初め・げのはじめ」へ 

「旅立ち」は、名文電子読本で最初に取り上げた、おくのほそ道・始まりの章「漂白の思い」に続く第二章です。旧暦の桃の節句の頃、みちのく(奥州)への旅を思い立ち、それまで住んでいた草庵を引き払い深川の杉風の別宅に移った芭蕉が、旧暦三月二十七日、前の晩から集まってくれた親しい友人たちと隅田川を船で千住まで行き、みちのく(奥州)へ旅立つ様子と心境が語られています。

おくのほそ道の記述によれば、芭蕉は三月二十七日江戸深川を船で立ち、千住から日光街道で日光を目指しました。まず出発したその日のうちに草加に宿を取っています。千住から草加までは9キロ、歩いた距離はそれほどでもありません。しかしその日のことを「ようやく草加にたどりついた」記しています。おくのほそ道では日付の記載はありませんが、二十九日(同行した曽良の日記に記載)に最初の歌枕の地である室の八嶋に参詣しています。そして三月三十日に日光の麓(佛五左衛門宅)に宿泊し、四月一日に日光東照宮に参詣しました。草加から日光までの約120キロを(28・29・30)の三日で歩き切ったことになります。一日平均40キロを三日続けて歩くのです、これはかなりきつい行程です。

一方、芭蕉の旅に同行した曽良の日記には、三月二十日深川を船で立ち千住で降りたと記録されています。おくのほそ道とは旅立ちに七日間もの誤差があります。二七日(おくのほそ道の旅立ちの日)に粕壁(現在の埼玉県春日部市)、二十八日に間々田(栃木県小山市)に宿泊し、二十九日に室の八嶋を参詣して鹿沼(栃木県鹿沼市)に到着しました。鹿沼から日光までは17キロの距離です。二十九日・三十日と連泊して、四月一日に日光東照宮に参詣しています。粕壁(春日部市)から日光まで90キロの道のりを四日かけて歩いたのです。

おくのほそ道では日光東照宮に参拝する前日の三十日に宿泊した佛五左衛門宅は、曽良の日記では参詣後の四月二日に宿泊したとなっています。

曽良は旅の日程と出来事を正確に記録しています。すると芭蕉は旅立ちの日を意図的に七日遅く記したことになります。おそらく芭蕉としては二十七日に江戸を出発したかったのですが、それができなかったのです。芭蕉には旅立ちの日が二十七日でなくてはならない理由がありました。それが「旅立ち」の句「行春や鳥啼き魚の目は泪」 です。旅立ちは「行春・ゆくはる」春が過ぎていこうとする頃、つまり三月二十七日(陽暦五月十六日)頃でなければなりませんでした。三月二十日では早すぎるのです。三月二十日ではこの「旅立ち」の句は成り立ちません。そこで後日句にあわせて旅立ちの日を調整して記したのです。

曽良日記を読むと三月二十日に深川を船で出発し千住で船から上がった後、二十七日に粕壁(今の埼玉県春日部市)に泊まったと記録されています。千住から粕壁までの距離はおよそ30キロです。30キロを七日もかけて進むことなど考えられません。明らかに途中の草加又は越谷の宿に連泊して時間を調整をしています。

では、なぜ時間を調整する必要があったのでしょう。それは月の改まった四月一日に日光へ到着するためです。春が行き夏が来る日。それが月の改まった初日、四月一日(陽暦五月二十日)だったのです。仮にもし三月二十七日に江戸を旅立っていたら、四月一日に日光へ到着できたかどうかわかりません。そのため早めに江戸を立ち、四月一日に日光へ着くように途中の宿場で時間を調整していたのです。鹿沼での連泊も時間の調整です。

「日光山」の章の句です。

「あらたうと青葉若葉の日の光」

「剃捨てて黒髪山に衣替え」曽良

「暫時は瀧に籠るや夏の初め」


三句とも季節が改まったすぐの夏(夏の初め・げのはじめ)を詠んでいます。芭蕉は「夏の初め・げのはじめ」に日光に到着することにこだわっていたのです。

日光東照宮・Wikipedia

そして「行秋・ゆくあき」へ

最終章「大垣」の句は「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」です。これも別れの句です。

芭蕉は「行春・ゆくはる」に旅立ったみちのくへの旅を「行秋・ゆくあき」に終わらせました。