「知恵袋」森鴎外

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●人の短・ひとのたん(人の短所) 

●勿れ・なかれ(勿れ=無かれ 言うこと勿れ=言ってはいけない)

●翅・ただ

●徳を立つる上の(道徳上の)

●亦・また(=又)

●世に処する上の(処世の上での 処世 しょせい=世間と交わってうまく生きていくこと)

●短・たん(短所、欠点)

●長・ちょう(長所)

●盲・めくら

●明・めい(明るさ、ここでは目がよく見えること)

●聾ひたるもの・みみしいたるもの(つんぼ、耳の聞こえない者)

●聡・そう(耳が聡い・みみがさとい=よく聞こえる)

●侏儒・しゅじゅ(小人、背の低い人)

●人の長・ひとのちょう(人の長所、名声、権威)

●我長・わがちょう(自分の名声、権威)

●継がん・つがん(継がん=言い継ぐ、言い伝える)

●人の光(人のご威光、他人の権威)

●藉りて・かりて(=借)

●我光を増さん(自分をよく見せる)

●勿れ・なかれ(勿れ=無かれ 〜してはいけない)

●藉りて・かりて(=借)

●照る・てる(照り輝く)

●鶏口牛後・けいこうぎゅうご(大きな集団や組織の末端にいるより、小さくてもよいから長となって重んじられるほうがよいということ。「鶏口」は鶏のくちばしで弱小なものの首長のたとえ。「牛後」は牛の尻で強大なものに隷属する者のたとえ。)

●説・せつ(〜が述べる所の意味 鶏口牛後の説=鶏口牛後という諺の意味)

●骨髄・こつずい(真髄、物事の最も肝心な点)

箴言集「知恵袋」

文豪森鴎外に「知恵袋」という箴言集(箴言=戒めの言葉、教訓の意味をもつ短い言葉、格言)の作品があることをご存知の方は少ないと思います。「知恵袋」は、1898年明治31年8月9日〜同年10月5日まで、四十一日に渡り「時事新報」に掲載されました。翌年、陸軍第12師団の軍医として小倉に赴任した鴎外は、その続編を「心頭語」と題して1900年明治33年2月19日〜明治34年2月18日まで断続的に「二六新報」に掲載しました。「心頭語」は鴎外の執筆であることを伏せ、「千八」という匿名で掲載されました。(「二六新報」は対外強硬政策を主張する日刊紙で、桂太郎内閣を激しく攻撃し、創刊者秋山定輔はロシアのスパイ容疑をかけられ、新聞も1904年4月14日より発行禁止となりました)「知恵袋」「心頭語」は、鴎外の存命中は本として刊行されていません。

処世哲学の書「知恵袋」

まず、その「序言」より一文をご紹介します。

「能く頭角を顕して、而も忌まれず妬まれず、能く人の意を承けて、而も曲げず諛はざらんは、まことに容易からぬ事にて、この教えや、道徳の書に見えず礼節の書に見えず、有らまほしき人に無くしてその窮を致し、無くて好き人に有りてその通を致すとやいふべき。此篇題して知恵袋といふ、固より自賛の謂にあらず、わが智のあらん限りをば此中に盛りたるを、吝まず授くといへるばかりぞ。(よく頭角をあらわして、しかも人から嫌われず妬まれず、またよろしく他人の思うところに合わせるようにしてやりながら、しかも自分の意志を曲げず人に諂うこともない、こうした態度を貫くことは本当に容易なことでなく、こうした処世の道の教えは道徳の本にも書いていないし、礼節の本にも書いてない。まさにそれを必要とする人には欠けていて窮地に陥る原因となり、なくてもよかろうと思う人がちゃんと身につけていてそれで世の中をうまく立ちまわってゆく。この道の教えをいささか伝授しようと考える本書を「知恵袋」と題するのは、もとより著者が知恵の達人であるとうぬぼれてのゆえではない。とにかく自分の持っているほどの処世の知恵は惜しまずこの袋の中に全部投入してあるのだから、それを必要とする人が必要なだけの項目をそこから取り出していただきたい。というほどの心である)

「知恵袋」の内容は、一口に言って、処世哲学、つまり世上に立ち交って他人とうまく折り合ってゆく技術・心得のようなものを箴言集の形で書き連ねものです。

以上小堀桂一郎 訳・解説「森鴎外の知恵袋」講談社学術文庫より引用

「人の短」

人の短所を言ってはならない。それはただ道徳上の教えであるだけでなく、自分が世間の人々と交わってうまく生活していく中での、つまり処世の上での教えである。人の短所を指摘するのは、自分が優れていることを自慢したいからなのだ。それは、自分の目がよく見えることを自慢するために盲人の目が見えないことを蔑(さげす)み、自分の耳がよく聞こえることを自慢するために聾(つんぼ)の人の耳が聞こえないことを憐れむ。そして、自分の背の高さを自慢するために小人の背の低さをバカにするのと同じで、人間として卑しい限りである。

「自分よく見せるために人の短所、欠点を指摘する奴は卑しい人間である。」鷗外の主張を短くまとめればこうなります。

新型コロナウィルスの世界的な流行により、Tokyo2020 2020年に開催予定だった東京オリンピックが延期となりました。その2020年のオリンピックの招致活動が盛んであった頃、当時、日本の招致委員の一人がライバルと目されていたイスタンブールがイスラム国家トルコの都市であったことから「イスラム教徒はいつもお互いが喧嘩ばかりしている」とIOC(国際オリンピック委員会)理事との会見で発言しました。うかつにも口が滑ったということのようですが、この発言の真意は「わが日本人は温厚でまとまりのある素晴らしい民族だ」という自慢がしたかったのです。相手の短所を指摘することで自分の長所を示し、オリンピック招致を有利に導きこうとしたわけです。なんでこんなことをいまだに覚えているかというと、その招致委員の発言に、鴎外の言葉の真実を見た思いがしたからです。

「人の長」

人の名声、権威を自分のことのように言いふらしてはいけない。人のご威光で自分を立派に見せようなどとんでもない話しである。夜空に浮かぶ大きな満月は爛々と輝いて見えるが、それはしょせん太陽の光を反射しているに過ぎない。ならば太陽のご威光で輝く大きな満月であるよりは、小さくてもよいから自分の力で照り輝く一本のロウソクであるべきだ。これこそが「鶏口となるも牛後となるなかれ」(本文の鶏口牛後にマウスカーソルを当てるとその意味が表示されます。)という言葉の真髄である。

森鷗外は陸軍軍医として軍医総監という最高ポストにまで登り詰めたエリート軍人でした。日本陸軍という巨大組織の中で光り輝くその経歴は、彼の人生を眩しく照らしています。世間の人は彼のその経歴と肩書きに敬意を抱き、彼を一個の人間としてではなく軍医総監として理解していました。鷗外の言う「人の長」とは、自分の社会的な肩書きとその権威を含めた意味なのです。「陸軍軍医総監」という肩書きの権威で以て自分を宣伝してはならない。肩書きの権威で自分を光らせても、しょせんそれは偽物の自分である。肩書きの権威で光り輝く自分より、自分自身の文才と努力で作り上げた小さな燈の如き作品を通して世の人々に認めてもらいたい。森鷗外にとって、自ら光を放つ小さな燈は作家としての自分、日の光を借りて照る大いなる月は陸軍軍医総監としての自分でした。

鴎外の遺書

鴎外の遺書が公開されていますので下に記しました。鴎外がいかに肩書きの権威で光り輝くことを嫌っていたかがよくあらわれた遺言です。この遺言は同じく陸軍軍医であった賀古鶴所が鴎外の死にあたって口述筆記したものです。

遺言
余は少年の時より老死に至るまで一切秘密無く交際したる友は賀古鶴所君なり。ここに死に臨んで賀古君の一筆を煩わす。死は一切を打ち切る重大事件なり。奈何なる官憲威力と雖此に反抗する事を得ずと信ず。余は石見人森林太郎として死せんと欲す。宮内省陸軍皆縁故あれども生死の別るる瞬間あらゆる外形的取り扱いを辞す。森林太郎として死せんとす。墓は森林太郎墓の外一字もほる可らず。書は中村不折に依託し宮内省陸軍の栄典は絶対に取りやめを請う。手続きはそれぞれあるべし。これ唯一の友人に云い残すものにして何人の容喙をも許さず。

                               大正十一年七月六日
                               森林太郎 拇印
                               賀古鶴所 書

森鴎外

「知恵袋」より

「知恵袋」における鴎外の言葉は具体的で急所をついています。

敵の盛んなると衰へたると
「敵猶公衆に信ぜらるる間は、汝其れ軒昂にして屈せざれ。敵既に公衆に信ぜられずば、汝はこれに屈辱を加ふること敢えてせざれ。(敵がなおも世間を味方にして勢いづいているときは、こちらも意気高く奮い立って屈服の姿勢を見せてはならない。敵がすでに世間の支持を失って衰勢に向かっている時は、その弱みに乗じてこれに屈辱を与えるようなことをしてはならない)

自分であろうと、敵であろうと、勢いの盛んな時と、衰える時とが必ずあります。政治の世界を眺めていると、それはまことに顕著です。自分が勢いの衰えた時、勢いに乗った敵はここぞとばかりにこちらを攻撃してきます。いわれなき誹謗中傷を受け屈辱を味わされたとしても、歯を食いしばって耐え、絶対に屈服してはいけません。耐え忍んでいれば、何かのきっかけで相手の勢いが失速する時がいつか必ずきます。戦いの常套ではその時こそこちらが反撃するチャンスなのですが、敵の失速という弱みにつけ込んでこれに屈辱を与えてはなりません。これは敵を哀れんでそうするのではありません。自分にとってそれが大切なことなのです。

「こういうときは、こうしなさい」という具体性は宮本武蔵の「五輪書」と比較しても遜色ありません。極めて明確でわかりやすい箴言です。けれども、宮本武蔵がこの文章を読んだならどのように思うか、大変興味がわくところではあります。

次の文章は鴎外の良心といえるものです。

我と我と (自分自身)
「我に無礼を加えざれとは、独り一室に居る時と雖、動作を慎み衣帯を整うるが如きをいふ。恥づべき事は、人に見られて始めて恥づべきにあらず、人見ざるも亦自ら恥づべきなり。 我に諛辞を献ぜざれとは、凡そ人に責むべきほどの事は、これを己に責めざるべからざるをいふ。人を待つには厳しく己を待つには寛く、人の瑕瑾を発きて己の疵病を愛しむは卑陋の限りなるべし。(自分を侮辱するなとは、たとえ自分一人で部屋にいる時であっても、振る舞いを慎重にして、服装をきちんと整えているようなことをいう。恥とすべきことは、人に見られてはじめて恥となるのではなく、たとえ人が見ていなくとも、恥とすべきことはまた一人自ら恥じるべきである。自分にへつらいの言葉をかけぬようにせよとは、大体、人に責めることは、これを自分に責めないことがあってはならないことをいう。人には厳しく自分には甘く、人の欠点をあばいておいて、己の欠点を必死に隠そうとするのは、卑しさのきわみである) 」

自らを厳しく律していくこと。明治人の精神の真髄はそこにあります。たとえ自分一人部屋で仕事をする時でも、きちんと身なりを整え、背を真っすぐにのばした正しい姿勢で机に向かう。人の目があろうがなかろうが、態度と振る舞いにいささかの変化もなく、自分の行動規範を確立し、そこから外れることを恥とする。現代のようにパフォーマンスで人の目を引きつけることは、明治人にとっては恥でした。人を責める前にまず自分を責め、人には寛容であっても自分には厳しい態度で臨む。鷗外自身も常にこのような態度を心掛けていました。鷗外は陸軍軍医と作家という二足のわらじを履いていましたが、それを快く思わない陸軍の幹部も少なからずいました。だからこそ陸軍軍人としていささかも怠ることのなきよう人一倍努力を惜しまず、自分自身を厳しく律したのです。それが鴎外の良心でもありました。鴎外の良心が彼を陸軍軍医総監という最高ポストに導いたのです。明治人が最も大切にしたもの、それは自分自身の良心です。良心に従って生きていくことが人間の責務であり、それを実践するために自分自身を厳しく律したのです。明治人にとって自分こそが自分自身の最も信頼する大切な友であると同時に、己の敵も己自身でした。

以上、現代語訳はすべて小堀桂一郎訳・解説「森鴎外の知恵袋」講談社学術文庫を参考にしています。

                               

参考文献
小堀桂一郎訳・解説「森鴎外の知恵袋」講談社学術文庫
森鴎外「鴎外論集」講談社学術文庫

文豪森鴎外の文章は原文で読んでこその名文です。「森鴎外の知恵袋」を原文で読むには、小堀桂一郎訳・解説の講談社学術文庫しかありません。巻末にある小堀桂一郎氏の解説を読むと、小堀桂一郎氏は他の鴎外の文芸作品に比較してこの「知恵袋」という箴言集をあまり高く評価されておられないようです。ドイツのクニッゲの「交際法」という種本があるにもかかわらず、鴎外自身がそれを伏せて書き進めたこともあるようです。解説で「これは鴎外に作品としては、敢えて言えばやや調子の落ちた作品である」と評されていました。その「やや調子の落ちた作品」を小堀桂一郎氏が現代語訳しておられるわけですが、その現代語訳は素晴らしいの一言です。鴎外の原文と小堀氏の現代語訳を照らし合わせながら読み進めると、なんとうまく現代語で表現してあるなと感心することしばしばで、原文の格調高い文章がそのまま現代語でうまく表現され、鴎外らしさが失われていません。小説家としての鴎外より、日本陸軍という巨大組織の一員としての鴎外が感じ取れる稀有な作品と思います。