十二、三より 一頁

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十二、三歳頃になれば、そろそろ様々な演目を教えられるようになります。演目において役を演じる場合、稽古で身につけた「音曲・はたらき・舞」といった技だけでなく、役者の容姿と声が、芸の出来不出来を大きく左右します。十二、三歳頃の役者は、稚児姿の愛らしさ(愛らしい容姿)と高く響く声という二つの利点を持っています。その二つの利点は、役者の短所を覆い隠し、長所をますます魅力的に見せてくれるほど大切な芸の要素となります。
十二、三歳頃の世阿弥は、絶世の美少年でした。応安七年(1374年)、世阿弥が十二歳の時、父観阿弥とともに出演した今熊野の演能に三代将軍足利義満が来訪して舞台を見物します。舞台における世阿弥の美しい容姿と高く響く声はひときは人目を惹き、将軍義満は世阿弥の可憐さに魅せられます。また、観阿弥の大衆性豊かな物まねに幽玄を加味した芸も義満を魅了しました。以後義満は観世座を特にひいきにして後援します。観阿弥の創始した観世座は、この今熊野での演能によって興隆のきっかけをつかんだのです。後年その頃を振り返った世阿弥は「あの頃の自分の芸は決して本物ではなかった。ただ少年としての愛らしさと、声変わりがする前の高く響く声が魅力だったのだ」と述懐します。しかし、将軍義満を魅了したのは、その少年としての容姿の愛らしさと高く響く声だったのです。
これは単なる偶然ではなく、今熊野の演能に将軍義満が来ることを知った観阿弥が周到に計画したことでした。観阿弥は息子世阿弥の愛らしい容姿と高く響く声(少年ゆえの時分の花)で将軍義満の心をつかもうとしたのです。少年ゆえの時分の花(愛らしい容姿と高く響く声)は少年の時分にしか咲きません。観阿弥は美少年世阿弥の愛らしさと高く響く美しい声は、必ず将軍義満の心をとらえると考えました。そこで、我が子世阿弥の少年ゆえの時分の花をここぞとばかりにうまく利用したのです。これは観阿弥が座の棟梁(経営者)として並々ならぬ経営の才能を持っていたことを証明しています。申楽の座はそれまで農村と寺社を主なマーケットとしていました。観阿弥は、それに加えて武家と公家という新たな貴人のマーケットを開拓しました。しかもそれは極めて成長性の高い優良マーケットでした。
