十二、三より 二頁

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「さりながら、この花はまことの花にあらず。ただ時分の花なり」ここで初めて「花」が出てきます。「まことの花」と「時分の花」です。ここでいう「花」は現代語訳すれば「芸の魅力」というほどの意味です。十二、三歳頃の容姿の愛らしさと高く響く声は、その時分(十二、三歳頃)にのみ咲く少年期の花(芸の魅力)です。しかし、それは一生涯咲き続ける花ではありません。散ってなくなる時がいつか必ずきます。ですから、十二、三歳頃の容姿の愛らしさと高く響く声がいかに魅力に溢れていたとしても、それはまことの花(本物の花)ではありません。まことの花(本物の花)は、枯れることなく咲き続ける花(芸の魅力)をいいます。
電子書籍の前ページに下の文章がありました。「児の申楽に、さのみに細かなる物まねなどはせさすべからず(稚児姿の申楽に、あまり細かな物まねなどをさせてはいけない)」十二、三歳頃の稽古では、あまり細かな物まねなどはせず、容易な芸で少年期の二つの魅力(容姿の愛らしさと高く響く声)を最大限に発揮して、同時に基本の技を大事に(大切に)稽古をすべきである。
ここで「序」一頁の投稿サイトで紹介した伊藤真さんの著書「続ける力」から抜粋した文章を再読してみます。「芸道の第一段階は、指導者のやることをそのまま素直にまねて、基本の型をしっかりと身につけることです。何事であれ続けるためには、きちんとした基本の型を身につけることが不可欠です」ここ(風姿花伝・十二、三より)でも同じことが述べられています。生涯にわたって能を極めていく(まことの花を咲かせる)には「基本の型をしっかりと身につけること」が不可欠です。そして、能においては十二、三の頃がそのための最も大切な時期であると世阿弥は言いたかったのです。だから「態をば大事にすべし」「大事に稽古すべし」と「大事」を強調しているのはそのためです。
