四十四五 一頁

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三十四、五で能を極めても、それから十年の月日が過ぎて四十四、五になれば、体力は落ち、容姿も下がってしまいます。そうなれば、必然的に能の演じ方は大きく変わらざるをえません。たとえ、能を極め、都で名人と認められたとしても、よい相手役(脇の為手)を持たねばなりません。世阿弥自身も父観阿弥の相手役(脇の為手)をつとめたことでしょう。この頃(四十四、五歳)からは、むやみに細かい動きの物まねはせず、自分に似合っている(年相応の)芸を、無理をせず、自分は目立たぬように相手役の引き立て役にまわり、控えめ控えめに演じるのです。体力の落ちた身で俊敏な動きの能を演じてはいけません。はたからどうみても、そこに花(芸の魅力)はありません。当時の申楽は俊敏な動きが多い、役者の体力を大変に消耗する芸だったのです。四十四、五にもなれば、長年の身体への負担が積み重なって、老いを加速させていきました。
現代の演能においては、主演者を「シテ・為手又は仕手」といい、シテの相手役を「ワキ・脇」といいます。ワキの役目はシテを舞台上にひき出して、演技をさせ、舞を舞わせることです。ですからワキは自らの演技は最低限にとどめ、演能中のほとんどを、シテの邪魔にならぬよう、脇柱と呼ばれる舞台上の柱の影にじっと動かず座り続けます。しかし、世阿弥の時代の能と六百年の時を経た現代の能では、能の演じ方も演者の役割も全く同じであることはありません。このページに出てくる「脇の為手」も、現代の能における「ワキ・脇」とは同じイメージで捉えるべきではありません。世阿弥の時代の「脇の為手」は、演能において、現代の「ワキ・脇」よりも重要な役割を持ち、演じる芸も多かったはずです。ですから「脇の為手」は、座の棟梁に次ぐ技量を持った役者や、たとえ若くとも将来の座の後継者が務めていました。ですから「よき脇の為手を持つべし」とは、「よい後継者を育てなさい」と考えてよいのです。「三十四、五で能を極めたのであれば、四十四、五になれば、今度は後継者の育成に取りかかりなさい」と解釈してみるのです。「脇の為手に花を持たせて、あひしらひの様に、少な少なとすべし(相手方の役者に花を持たせて、自分は目立たぬように控えめに演技し、引き立て役となって、自分こそが脇役のように、控えめに控えめに演じなさい)」この文章も、脇の為手、つまり後継者を育てなさいというニュアンスを含んでいるように感じられます。
