四十四五 二頁

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この頃(四十四、五歳)まで持ち続けることができる花があるなら、それがまことの花です。まことの花を持った役者ならば、自分自身の体力と容姿が落ちたことをよくわかっているので、よい相手役を選ぶことを心がけ、俊敏な動きで欠点をさらけだすような能はしません。このように「体力と容姿が落ちた今の自分を知る心が、奥義を体得した、まことの花を持った役者の心」です。一方、二十四、五を再読してみてください。「初心とは、それがいずれ失われてしまう花であるとも気づかず、その時の若さゆえの花を自分の本当の実力だと思い込む心、つまり時分の花をまことの花と思う役者の心」です。四十四、五になり、まことの花を持った役者のみが、過去の初心時代(二十四、五)を振り返り、「あの頃の私は、時分の花をまことの花と思う初心であった」と回想できるのでしょう。
世阿弥が年来稽古条々を執筆したのは、三十七、八歳の頃です。よって、この四十四、五と続く五十有余は、自らの経験をもとにしていません。先輩役者、特に父観阿弥のその頃の様子を思い出しながら執筆したものです。しかしながら、観阿弥と世阿弥が今熊野の申楽能で将軍義満にその芸を初めて披露し、若い将軍を魅了したのは、世阿弥が十二歳、観阿弥が四十三歳の時でした。その後の観世座の興隆は目覚ましく、観阿弥が四十代の時、観世座はまさにその全盛期を迎えていました。そんな中でも、脇の為手として父の相手役をつとめ、父の芸をつぶさに見ていた世阿弥は、観阿弥が四十半ばを過ぎた頃から、その容姿と体力が衰え始めたことを感じていたのでしょう。そして年齢から来るその衰えに、父観阿弥がどのように対処していたかもつぶさに見ていました。容姿と体力の衰えに抗うことなく、それを受け入れつつ工夫をこらして演じる父観阿弥の姿こそ、まことの花を持った役者だと世阿弥は感じ入っていたのです。
