五十有余 一頁

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四十四、五歳頃まで花を持ち続けることができた役者も、五十を過ぎれば、何もしないより他に方法がないと世阿弥はいいます。ここで「十二、三より PDF163ページ」に戻ってください。「この時分の稽古、すべてすべて易きなり(十二、三歳頃の稽古は、容姿の愛らしさと高く響く声という少年ゆえの花を持っているので、すべて容易にこなすことができる)」とありました。それが五十歳を過ぎると「五十歳を過ぎ容姿も衰え体力もなくなると、舞台も稽古も何もかも思い通りにはできません。よって、せぬならでは手立てあるまじ(何もしないより他に方法がない)」となるのです。「麒麟も老いては駑馬に劣る」とはそれを言っています。しかし、それでも本当に能の奥義を会得した達人ならば、演じられる演目も数少なく、演技の見所もほとんどなくなったとしても、花は残ります。それが亡父観阿弥だったのです。
