五十有余 二頁

PDF173ページから174ページ

観阿弥の最後の様子を伝えているのが上の文章です。この文章は、風姿花伝の中でもひときわ味わい深い名文です。
観阿弥は五十二歳の時、巡業中の駿河国で亡くなります。その時、世阿弥はまだ二十一歳の初心でした。文中にある「およそ、その頃、物数をばはや初心に譲りて」とある「初心」とは世阿弥を指しています。観阿弥は亡くなる半月前の五月四日に、駿河国の浅間神社で、自ら舞台に上がり、人生最後の能を奉納しました。体力も容姿も衰えた五十二歳という年齢にもかかわらず、その能は魅力に溢れ、見物したすべての人が、その日の観阿弥の能を賞賛しました。五十を過ぎてからの観阿弥は、数々の演目の主役を後継者である世阿弥に譲り、無理のない箇所を、控えめに、工夫を凝らして演じていましたが、花(芸の魅力)は一層増して見えるのでした。真に身についた花であるから、能は枝葉も少なく(余計な演技もなく)、老木(老人)になるまで花(芸の魅力)は散らずに残ったのです。世阿弥は「これこそが私が目の当たりにした、老骨に残った花(真の花)の証拠である」と感慨深く述べています。
この五十有余の文章は「年来稽古条々」の最後を飾るに相応しい名文です。原文を何度も繰り返して読んでみてください。味わいのある文章の中に「易き所を少な少なと」演じる観阿弥の姿が浮かんでくるようです。
「易き所を少な少なと(無理をせず控えめに)」これが観阿弥の老後を生きる指針でした。老後を生きる観阿弥は、芸だけでなく何事においても「無理をせず控えめに」を常に心がけていたのです。五十二歳と言えば、今ならば働き盛り、人生まだまだこれからという年齢ですが、当時は人生五十年が当たり前でした。観阿弥は、五十歳を過ぎた頃から、一日一日を大切に、いつ死が訪れてもよいように心の準備を始めていたのでしょう。観阿弥は能の奥義を会得する中で、人生の奥義をも会得していました。観阿弥の老後の生き方の中には、真の花があったのです。
