およそ、花伝の中

P254ページ

 「問答条々・奥書」と「奥義に云はく・奥書」

この頁は「奥義に云はく」の奥書として書かれています。「問答条々・奥書」と比較してみます。

「問答条々・奥書」
いったい、自分は観世の家を守り、芸を重んじるために、亡き父の言い残した数々の先人から伝わる教えを、心の底に留めおいて、その大要を記録したのは、世間の批判を省みず芸道の廃れてしまうことを憂えるからであって、全くもって他座にまで自分の考えを及ぼそうとするのではない。ただ自分の子孫への家訓として残すがためである。風姿花伝の条々は以上である。

応永七年四月十三日 従五位の下左衛門大夫 秦元清



「奥義に云はく・奥書」
およそ、風姿花伝の中で、年来稽古から始めて、この奥義まで書き記して来たが、これは全く自分の力から出た学識ではない。幼少よりずっと、亡き父観阿弥の指導を受けて一人前になってから、二十数年の間に、父の演技を目で見、父の謡を耳に聞いたまま、その芸を受け継いで、能の道のため、観世の家のため、この風姿花伝を作るのであって、自分の名誉や利益のためではない。


応永九年三月二日 世阿(この日付と署名は後から誰かが書き加えたというのが定説です)

「問答条々の奥書」では、風姿花伝は「亡父からの口伝の教え、つまり言葉で伝えられた教えを記録したもの」と述べています。実際風姿花伝の本篇である、年来稽古条々、物学条々、問答条々の三篇は、口伝の教えの形式で書かれています。

それに対して「奥義に云はくの奥書」では、風姿花伝は「亡父より直接指導を受けた二十数年の間に目にした父の演技、耳にした父の謡を受け継いで(体得して)作ったもの」と述べています。亡父観阿弥の芸を受け継いで(体得して)、言葉だけではなく、観阿弥の心から世阿弥の心に伝わったものをも含めて風姿花伝なのです。「奥義に云はくの奥書」は、「奥義に云はくの書き出しの条の末文」「その風を得て、心より心に伝ふる花なれば、風姿花伝と名づく」PDF241ページ とそのままつながっていたのです。

「奥義に云はく(奥義篇)」には、観阿弥から世阿弥への口伝の教えだけでなく、観阿弥の心から世阿弥の心へ伝わった芸の「奥義」が世阿弥の言葉で表現されています。

「序」と「奥義篇」

およそ、若年よりこのかた、見聞き及ぶ所の稽古の条々、大概注し置く所なり。(さて、若い頃から今まで、父観阿弥の芸を目で見て耳に聞いての稽古の条々、そのあらかたを書き記しておくこととする。)「序」より。

およそ、花伝の中、年来の稽古より始めて、この条々を注す所、全く自力より出づる才学ならず。(さて、風姿花伝の中で、年来稽古条々から始めて、この奥義の条々まで書き記してきたが、これは全く自分の力から出た学識ではない。)
「奥義篇」

上の文章は「序」後半部の終わりです。下の文章は「奥義篇」の奥書の初めです。この二つがお互いにつながっている文章であると読む時、二つの文章は、どちらも「申楽は、先人から伝わった芸の道を後人に継承するものである」ことを述べています。

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