第一問答 二頁

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すべての観客が公演の始まるのを待ちかねて、まだかまだかと楽屋の方を見ているところに、役者がタイミングよく登場し、一声の謡をうたいあげれば、観客は役者が一声の謡をうたうそのタイミングのよさに引き入れられ、すべて観客の心が役者の動きと一つになって、しみじみとした気分になれば、もはやその日の申楽は成功したも同然である。
「まだか、まだかと待ちわびる観客のその機(きざし)を逃さず、絶妙のタイミングで一声の謡をうたいあげる」これが「時節感当」です。このタイミングは早くてもいけないし、遅くてもいけない。タイミングは「まだか、まだかと待ちわびる観客のその機」にあります。役者はそれを直感で見て取るのです。「時節感当」によって、観客の目は役者一人にくぎ付けにされます。それはすべての観衆の心と役者の動きが一つになるタイミングであり、その日の申楽で一番大切なタイミングです。名文電子読本「花鏡」・時節感当より
観客が申楽(公演)が始まるのを待ち侘びて、まだかまだかと楽屋の方を見ています。役者はまさにそのタイミングで(時を得て)舞台に登場し、一声の謡を声高らかにうたい上げるのです。観客は役者が一声をうたい出すそのタイミングのよさ(時の調子)に引き寄せられます。そして、すべての観客の心と役者の動きが一つになり、観客全員がしみじみとした気分になったなら、もはやその日の申楽(公演)は成功したも同じです。
ここで大切なのはタイミングです。たとえどんなに美しい高く響く声で一声の謡をうたいあげたとしても、タイミングをはずせば、それは観客の心に響きません。タイミングは一瞬です。その一瞬のタイミングを役者は直感で見て取ります。直感は天性のものでも、努力して得られるものでもありません。直感は本番の経験を積むこと、つまり場数を踏むことによって培われていきます。絶妙のタイミングとは経験の成せる技です。
そして、前ページの「その日の庭を見るに、今日は能よく出で来べき、悪しく出で来べき、瑞相あるべし。これ、申しがたし。(開演前の観客の様子をよく観察すると、今日の公演が上手くいくかいかないかのきざし(予兆・前兆)がある。しかし、これは言葉では説明できない。)」ここでいう「瑞相」も「きざし(予兆・前兆)」です。ですから、これを感じ取るのは役者の直感であり、それは経験のなせる技です。しかし、この時代、この「きざし(予兆・前兆)・瑞相」を感じ取るものが何であるかを言葉で説明することはできませんでした。「これ、申しがたし」という世阿弥の一言は、それを言っているのです。
