華厳経 唯心偈

唯心偈は「あらゆる事物、事象、すべての人々、仏さえも、私達一人一人の心が描き出す画像に他ならない」とする唯心(唯識)の教えを詠っています。唯心(唯識)は、仏教から派生したものの、科学と哲学と宗教の三つの要素からなる普遍的思想です。

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<語句解説>

華厳宗・華厳経東大寺

華厳経というお経は、般若心経、法華経、阿弥陀経といったよく知られたお経に比べ、ご存知の方は少ないと思います。一方、日本で有名なお寺をあげなさいと言われたなら、大仏様で有名な奈良の東大寺は間違いなくベスト5の中に入るのではないでしょうか。東大寺は修学旅行で奈良を訪れたら必ず見学に立ち寄るお寺です。その東大寺が日本華厳宗の総本山です。そして、その華厳宗の根本経典(信仰の拠り所になるお経)が華厳経です。

華厳経・西夏文字

華厳経・唯心偈とは

今回名文として取り上げたのは、華厳経におさめられている唯心偈です。華厳経・唯心偈との出会いは、NHKで放送された仏教を特集した番組でした。華厳経・唯心偈の訓読文がテレビ画面に映し出され、アナウンサーの朗読音声ととも流れていきました。その時、その韻律の美しさに瞬時に魅せられてしまったのです。「訓読でこんなにも美しい調べのお経があるのか」それは新鮮な驚きでした。残念なことに録画していなかったため、朗読を聞いたのはその一回だけです。

偈とは仏典の中で仏の教えを韻文の形式(詩句)で述べたものです。ですから唯心偈は、華厳経の中の詩文(漢詩)とお考えください。一般にお経は漢字の語順通りに音読します。しかし、お経とて漢文ですから、日本語の語順に書き下して訓読することは可能です。この電子読本では、華厳経唯心偈を原文である漢文と日本語に書き下した訓読文の両方でご紹介します。お経の一部でありながら、独立した偈(詩文)ですから、それ自体で内容が一貫しています。極めて奥深い内容でありながら、内容の理解も比較的容易です。しかも、とても美しい韻律の調べを持つ名文です。

唯心偈は「あらゆる事物、事象、すべての人々、仏さえも、私達一人一人の心が描き出す画像に他ならない」とする唯心(唯識)の教えを詠っています。唯心(唯識)は、仏教から派生したものの、科学と哲学と宗教の三つの要素からなる普遍的思想です。存在するのは「唯だ識のみ」すなわち「心だけ」であり、心の他に「もの」は存在しません。私が私自身と認める「自分」、私達にとっての「他者」、自分と他者を取り巻く「自然」、そしてあらゆるものを含む「宇宙」、これらすべては外界には存在しません。「一人一宇宙(一人一人が一つの宇宙である)」の中に存在します。私達は自分自身を広大な宇宙の中の微塵のような小さな存在だと認識するかもしれませんが、座禅や瞑想によって導かれる真理は「一人一宇宙」です。

華厳経の成立

華厳経は大乗仏教の経典で、正式には「大方広仏華厳経」といいます。華厳経に納められた「十地経」「入法界品」は古来からインドで流布しており、こうしたインドの古い経典類が三世紀に西域の都市コータンで一つの経典に編集されたものが華厳経です。その編集者が誰であったかは記録されていませんが、その人物が宇宙的な視野を持った天才であったことは間違いありません。その後、華厳経は西域から中国に伝えられ、それを拠り所とする宗派「華厳宗」が成立します。華厳宗の開祖杜順・とじゅん (557年~640年)は、呪文で病気を治し、川を歩いても足が濡れない超能力者であったと伝えられています。杜順は山野に寝起きして民衆と交わり、実践を通じて華厳の教えを広めました。続く第二祖智儼・ちごん (602年~668年)は、華厳経を学問的な立場でとらえる華厳教学を創始し、それを第三祖法蔵・ほうぞう( 643年~712年)が発展させ華厳思想を大成させました。法蔵から親しく華厳の法門を受けた審祥・しんしょう (生没は不詳)は、736年に金鐘寺(後の東大寺)の良弁の招きにより来日し、金鐘寺で三年間華厳経の講義を行いました。その講義を聞いた聖武天皇は、華厳思想をこの世に実現するべく金鐘寺に巨大な毘盧舎那仏像・びるしゃなぶつぞう (奈良の大仏様)を建立します。そして金鐘寺の名を東大寺に改め、良弁を別当に任命しました。これが東大寺を総本山とする日本の華厳宗の始まりです。

東大寺

大乗仏教と唯心論

華厳経は仏のさとりの世界とそこにいたる道を示したお経です。それだけに私達のいわゆる常識や分別では理解できない独特の考え方がしばしばその中に現れます。唯心偈に説かれた「存在するものは、すべて心の現れである」という考え方もその一つです。これは、個人個人にとってあらゆる存在はただ八種類の識(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚の五種類の感覚と意識、二層の無意識)によって成り立っているとする大乗仏教の考え方です。あらゆる存在が個人的に構想された識でしかないなら、それらの存在は主観的な存在であり客観的な存在ではありません。それらの存在は無常であり、生成と消滅を繰り返すのみです。すなわち、それらの存在は「空」であり、実体はないのです。しかし、このような考え方は「自分が存在するしないに関わらず世界は存在する」「神は人間を超えた偉大な存在である」という考え方に慣れてしまった現代人にはなかなか理解できません。しかし、考えてみれば、私達一人一人は、ものの見方、考え方、生き方がそれぞれに違います。これは私達の心がちょうど鏡のように外界の存在をそのまま映し出しているのではなく、むしろ外界に積極的に働きかけ、そのイメージを構成し、それに基づいて生きていることを立証しています。私達一人一人の心が自分が生きる世界を図式として組み立て、私達一人一人はその図式にのっとって生きているのです。私達は誰もが自分で自分の世界を作り上げ、その世界を生きる存在です。私達一人一人が、かけがえのない固有の世界の創造者なのです。

一即一切、一切一即

もう一つ華厳経に示された重要な考え方をご紹介しましょう。華厳経では、宇宙の森羅万象すべては、仏(毘盧遮那仏)の考える世界の中にあります。その仏の考える世界は、一つの微塵がそのまま宇宙の命を表わし、宇宙は一つの微塵もその命からはずさず、個と全体が有機的に統合する壮大な宇宙世界です。華厳経は「一即一切、一切一即」という言葉でこれを表現しています。簡単に言えば「あらゆるものが一つにつながり、関わりあって存在している」ということであり、もっと突き詰めていうと「小が大であり、一つがすべてである」という考え方です。華厳経においては、具体的な事物や事象に関しても、時間に関しても、個々のものを決して孤立した実体的な存在とはとらえず、あらゆる存在が他のすべて、ないし全体と限りなく関わり合い、通じ合い、含み合っているとされます。この思想は日本文化の中に広く深く生き続けてきました。小さな茶室の中でお茶を立て、それを喫する行為の中に無限の広がりを感じとるのが茶道の神髄です。一輪の切り花に永遠の美を見いだすのが華道の極意です。「俳句の切れには心の世界を打ち開き、広大な天地や宇宙までも宿す力がある(俳人・長谷川櫂)」。小さな限りあるものの中に、無限なるもの、永遠なるものを見ようとする華厳思想は、今でもしっかりと日本文化の中に生き続けています。また、イギリスの宇宙物理学者スティーヴン・ホーキング博士は、分子や原子といったミクロの世界の構造を観察し、それをマクロの宇宙に当てはめ宇宙の構造を説明するという画期的な宇宙物理学の理論を展開しました。この発想は華厳思想の最新科学への応用と言えます。最新の科学が証明した宇宙の構造が華厳経の宇宙観とそっくりであることには驚きを禁じ得ません。華厳経は今を生きる私達にとって最新の科学書でもあるのです。「一滴の雫が大宇宙を宿し、一瞬の星のまたたきに永遠の時間が凝縮されている」これは華厳思想を詩的に表現した言葉です。私達は広大で無限の宇宙に存在する微塵のような存在です。しかし同時に、その微塵のような存在の私達自身が広大無限の宇宙そのものなのです。宇宙と私達はつながっていて一つの「いのち」です。そして、今この一瞬の中に過去、現在、未来の「いのち」がすべて凝縮され、私達は今この一瞬を永遠に生き続けています。

荘子の万物斉同と華厳思想

中国には、仏教が伝わる以前から「全てのものは、元をたどれば斉しい」という荘子の万物斉同の思想がありました。荘子によれば、道は渾沌たる非存在です。いまだ何も存在しておらず「無」に等しい。無に等しいということは、斉同、つまり、みな斉(ひと)しいという状態です。その斉同なる無から万物が生まれます。ですから、全てのものは元をたどれば斉しい(万物斉同)のです。この万物斉同の思想と印度から西域を通り中国へ伝えられた華厳経の思想が結実して生まれたのが中国の華厳宗です。「一滴の雫が大宇宙を宿し、一瞬の星のまたたきに永遠の時間が凝縮されている」この華厳思想の中には、荘子の万物斉同の思想がしっかりと息づいています。

参考文献
鎌田茂雄著「華厳経の思想」講談社学術文庫
木村清孝著「華厳経をよむ」NHK出版
木村清孝著「さとりへの道・華厳経に学ぶ」NHK出版
横山紘一著「やさしい唯識」NHKライブラリー
横山紘一著「唯識に生きる」NHK出版

華厳経を知ろうと、まず読んでみたのが、鎌田茂雄著「華厳の思想」講談社学術文庫でした。仏教学者の鎌田茂雄さんの著作は、以前「禅とはなにか」講談社学術文庫を読んで、その読者に媚びない歯切れのよい文章がとても印象に残っており、そこで同じ講談社学術文庫に収められた「華厳の思想」を読むことにしました。序章で、まず日本文化と華厳経の関わりが解説されます。続いて「華厳経」→「華厳宗」→「華厳思想」という順に解説されており、入門書を意識して書かれているだけに、仏教書的難解さを感じさせない良書です。

木村清孝著「華厳経をよむ」NHK出版と横山紘一著「やさしい唯識」NHKライブラリーは、それぞれ一般向けに書かれた華厳経と唯識についての入門書です。それぞれ華厳経、唯識を学ぶ入門書として最も多く読まれているのではなかと思います。文庫本に横山紘一著「唯識の思想」講談社学術文庫がありますが、「やさしい唯識」NHKライブラリーと同じ内容です。

木村清孝著「さとりへの道・華厳経に学ぶ」NHK出版
横山紘一著「唯識に生きる」NHK出版
この二冊はNHK番組「こころの時代」の番組テキストとし出版されたものです。それぞれ「華厳経をよむ」と「やさしい唯識」の要点がさらによくまとめられており、入門書としてはこちらの方が最適かと思います。

NHKのEテレで放送される「こころの時代」は、専門知識を持たない一般視聴者を対象に作られた番組ですので、番組テキストもそれに従って作られており、わかりやすい内容になっています。それが最も現れているのが、「100分de名著」の番組テキストです。これらNHKの番組テキストは、たとえ番組を視聴せずとも理解できるように書かれているところも大きな魅力です。

木村清孝著「さとりへの道・華厳経に学ぶ」では、第三回「輝く叡智」において「唯心の思想」が語られます。そこでは「唯心の思想は瞑想体験を通じて把握された世界観の直接的な表明である」と記されており、なるほどと強い感銘を受けました。また同じ「輝く叡智」の中で、「一滴の雫が大宇宙を宿し、一瞬の星のまたたきに永遠の時間が凝縮されている」このような華厳思想の見方は、すぐれた文学者や芸術家の美の捉え方にもうかがえるとして、松尾芭蕉の俳句を例に出して次のように説明されています。

芭蕉は、おくの細道の旅において、立石寺で「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」という句を詠みました。これは常識的な立場からは「蝉が鳴いているのに、どうして閑かであるといえるのか」という反論が出てきそうな句ですが、おそらく芭蕉はこの蝉の声を、すべての周囲の音を奪い取り、一切を深い静寂に導き入れるものとして聞いたのです。少なくとも芭蕉にとっては、この蝉の声は暫時、全宇宙を飲み込んだのです。「閑か」とは、そういう存在の深淵が開かれた姿の表現なのです。

横山紘一著「唯識に生きる」NHK出版
著者は、「一人一宇宙」「一人一人が一つの宇宙である」この唯識の基本思想を、自分は、座禅を修し、唯識を学ぶことを通して理解したと記しています。木村清孝著「さとりへの道・華厳経に学ぶ」にも「唯心の思想は瞑想体験を通じて把握された世界観の直接的な表明である」とありました。どうやら真に唯心を理解するには、瞑想、座禅体験が不可欠のようです。仏教的理解とはまことそのようなものなのでしょう。一人一宇宙が事実とすると、三人いれば三つの宇宙があります。だから自分と他者との対立が生じるわけです。では、対立をなくすにはどうすればよいか?海の波はそれぞれ形も大きさも違うけれども、みな同じ水です。同じように、三人の三つの宇宙はそれぞれ違いますが、みな「同じもの」です。その同じものが「いのち」であるというのが著者の考えです。著者は「生命」と「いのち」を分けて考えます。「生命」とは、遺伝子やDNAにまで還元された対象化された生命。それに対して、後者は人間のみならず、植物・動物などすべての生命に共通するかけがえのない「いのち」です。自己の「いのち」は、自己だけのものではなく、普遍的で、不思議な、そしてありがたい「いのち」です。このことを自覚して、その自覚に基づき、他者との関係の中で、生きる、老いる、病む、死ぬ、という「いのち」の流れを生き抜いていく勇気を持とうではないかというのが著者の主張です。このあたりが、このテキストの一番読み応えのある所です。

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