おくのほそ道「漂泊の思ひ」・松尾芭蕉
「おくのほそ道」は、芭蕉の抑えきれない漂泊の思いから旅が始まります。その抑えきれな漂泊の思いを綴ったこの書き出しの章は、「おくのほそ道」という作品のイメージだけでなく、作者松尾芭蕉のイメージをも強く印象づけています。漂泊の思い抑え難く旅にでる風来坊、「笈の小文」の書き出しで自らをそう呼んだあの風来坊が確かにここにもいるのです。
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紀行文の最高傑作「おくのほそ道」
「名文電子読本」始まりの名文は、松尾芭蕉「おくのほそ道」から、書き出しの章である「漂泊の思い」を取り上げました。続けて「おくのほそ道」から「平泉」を名文として取り上げています。
当代一流の教養人 松尾芭蕉
「おくのほそ道」の書き出し「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」は、日本人なら誰もが知る名文です。しかし、これが中国盛唐の詩人李白の文章を出典としていることを知る人は多くありません。しかも、この李白の文章は、同じ元禄時代の浮世草子作家・井原西鶴も「日本永代蔵」の書き出しに使っています。「されば天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客、浮世は夢まぼろしという」がそれです。
江戸元禄期の日本では、李白、杜甫といった唐時代の詩人だけでなく、唐宋八大家(唐の韓愈、柳宗元、宋の欧陽脩、蘇洵、蘇軾、蘇轍、曾鞏、王安石)と呼ばれた唐から宋の時代の文人たちの詩や文章が好んで読まれ、日本人の教養を形作っていました。芭蕉は特に同じ漂白の詩人杜甫を敬愛し、その漢詩を好んで読んでいました。「平泉」では杜甫の「春望」が引用されています。また荘子の思想は芭蕉に大きな影響を与えています。「おくのほそ道」に先立つ紀行文「笈の小文」の有名な書き出し「百骸九竅の中に物有、かりに名付て風羅坊といふ」の「百骸九竅・ひゃくがいきゅうきょう」は、荘子・斉物論からの出典です。また「おくのほそ道」には論語からの引用も見られ、芭蕉が極めて広い範囲の漢籍(漢文の書籍)を読んでいたことがわかります。
日本の先人でいえば、平安末期の歌人西行は芭蕉の敬愛する師でした。西行もまた漂泊の歌人です。芭蕉の東北への旅(おくのほそ道の旅)は、西行法師五百回忌の巡礼の旅であったともいわれ、西行が陸奥へ旅したのと同じ道程を芭蕉も旅しています。芭蕉は若い時代に京都で北村季吟の門下となり、俳諧の手ほどきを受けました。北村季吟は、源氏物語、枕草子、徒然草などの注釈書を書いた高名な和学者でもあります。芭蕉は俳諧に限らず、北村季吟からそうした和学の古典も手ほどきを受けたであろうと推測されます。
松尾芭蕉は、漢籍(漢文)、和学(和文)に通じ、極めて幅広い知識と教養を身につけた当代一流の教養人でした。和漢混淆文の「おくのほそ道」では、その知識と教養がいかんなく発揮されています。「おくのほそ道」に限らず、芭蕉の紀行文には日本人が読み継いできた古典がギュッと詰め込まれており、読む者をしばしばうならせます。
貨幣経済の発達と元禄文化
文中「杉風が別墅に移るに、」とあります。杉風(さんぷう)とは、芭蕉の弟子で芭蕉を経済的に支援した人物です。こうした裕福な門人達が芭蕉を経済的に支援し、生活だけでなく旅の費用を援助していました。
江戸元禄期は、俳諧の松尾芭蕉だけでなく、浮世草子作家の井原西鶴、戯曲作家の近松門左衛門などが出て文芸の世界で華々しい活躍を見せました。また歌舞伎、浄瑠璃などの演劇が庶民の娯楽として定着していったのもこの時代です。美術の世界に目を向けると、日本画の尾形光琳、浮世絵の菱川師宣、陶芸の尾形乾山(光琳の弟)など、そうそうたる顔ぶれが美術史に名を残しています。これらの総称が元禄文化と呼ばれるものです。そして元禄文化を財政面から支えていたのが、貨幣経済の発達により経済力をつけた裕福な商人達でした。江戸元禄期、日本社会には貨幣経済が浸透し、商業資本が絶大な力を発揮するようになっていたのです。
不易流行
元禄期の豪商といえば、紀伊国屋文左衛門、奈良屋茂左衛門といった投機により財を成した豪商が有名です。しかし彼らは豪遊と放蕩を繰り返し没落していきました。一方、現代でも名前を残す三井、住友、鴻池などが豪商としてその基盤を確立したのも元禄期です。彼らは代々にわたる着実な経営努力により江戸時代を通じて発展し、明治に入って財閥を形成し日本の資本主義の一翼を担いました。そして今でもその名前を日本の経済界に残しています。
芭蕉は俳諧論書「去来抄」で、「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」と述べています。松尾芭蕉の俳諧理念の一つ「不易流行」です。現代語訳すれば「長く変わらないものを知らなければ基礎が確立せず、新しく変化するものを知らなければ新たな進歩がない」という意味です。同じような意味の言葉に論語の「温故知新」があります。不易流行も温故知新も、伝統と革新を結びつける知恵を意味する言葉です。この「不易流行」は、元禄期からの三井、住友、鴻池の経営にも活かされていました。彼らが没落することなく長くその事業を継続できた秘訣も「不易流行」でした。長く幕府の御用商人として幕府の金融を支えた三井は、明治維新後は新政府の資金要請に積極的に応えて新しい時代の政商としてその基盤を確立します。幕府との間に太いパイプを持ちそれを長く保ってきたにも関わらず、幕府と運命を伴にせず、逆に明治新政府を積極的に支援しました。そして新政府との間に新しいパイプを作り、その結びつきを強めていったのです。それが長期に渡る幕府の御用商人時代に培った「不易流行」という三井のしたたかな知恵でした。
何度も繰り返して読む
おくの細道に限らず、古典を読む場合に最も大切なのは「何度も繰り返し読む」ということです。古今東西の大量の書籍が溢れる現代では、読書において早く多く読むことに注意が向けられ、一度読んだだけで次の読書に移る習慣が身についてしまっています。その結果、繰り返し読むという読書にとって最も大切な習慣が形成されないまま、みんな読書から遠ざかってしまうのです。ビジネス文書や新聞、雑誌は別としても、古典は繰り返し読んでこその古典です。一つの古典作品を一度だけ読み通すより、その古典の中のいくつかの名文、名場面を繰り返し読むことの方がはるかにその古典の味わい、真髄を知ることができます。
文字とともに最初に日本に伝わった書物が「論語」です。その始まりの文章は「学んで時に之を習う」です。「学んだことを常に何度も繰り返す」という意味です。「習」には「繰り返す」という意味があります。論語という偉大な古典は、まず最初に「学ぶ(読む)」とはどういうことかを示してくれています。それは「何度も繰り返す」ことです。古典の魅力も味わいも繰り返しの中にあります。「学んで時に之を習う、また悦ばしからずや(繰り返し何度も何度も読み返す、それはなんと悦ばしいことだろう)」とは、それをいいます。