おくのほそ道「平泉」・松尾芭蕉
「三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す」平泉に到着した芭蕉は、はじめて目にするその風景を平泉の歴史を通してみていました。
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平泉到着と松尾芭蕉
芭蕉は元禄二年三月二十七日、門人曾良を伴って東北地方への旅に出発します。どのようなルートで旅をしたかは「おくの細道 ルート」でインターネット検索して調べてください。
平泉に到着したのは五月十三日のことでした。陰暦の五月十三日は、今の暦で六月二十九日、五月雨の降る梅雨の頃です。曾良日記では前日は大雨でしたが、この日は雨も上がって快晴となりました。
「三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す」平泉に到着した芭蕉は、はじめて目にするその風景を平泉の歴史を通してみていました。
芭蕉は源義経の終焉の地と伝えられる高館から眼下に広がる夏草の古戦場を眺め、戦いで亡くなった義経とその配下の武将達、そして滅亡した奥州藤原氏を悼みました。その鎮魂の句が「夏草や兵どもが夢の跡」です。この句は名句として知られますが、この句の本当の深い味わいは、この句に先立つ平泉の文章とセットで読まなければわかりません。同じ古戦場であっても、壇ノ浦でも関ヶ原でもない、平泉という土地とその歴史が持つただならぬ何かが、芭蕉にこの名句を作らせたのです。
芭蕉は杜甫の漢詩「春望」を引用しています。「春望」も安史の乱で荒廃した都長安の町を見下ろす高台に登って作られた詩です。眼下に広がる草むらの古戦場をながめていると、杜甫の「春望」がふと心に浮かんだのではなく、杜甫の「春望」を口ずさむことで、この高館から眺める景色を杜甫が見たあの「春望」の景色に重ね、その時の杜甫の心境を味わおうとしたのです。「杜甫はいったいどんな気持ちであの『春望』を詠んだのだろう」すると涙がとめどなく流れだし、昔功名を争って戦い、そして死んでいった兵どもの姿が草むらの中にありありと浮かんで見えたのでした。
高館を離れた芭蕉と同行の曾良は中尊寺へと足を運び、経堂と光堂(金色堂)を見物します。有名な光堂は、長年の風雨・風雪で朽ち果てる前に四方を囲んで瓦屋根を覆い、一時的に長い年月を偲ぶ記念物となっています。その様子を見て、「五月雨の降り残してや光堂」この名句が詠まれました。
同行した曾良の日記によると、二人が中尊寺に到着して二堂を見学しようとした所、番人が不在でどちらのお堂も開けてもらえず、何も見ずに帰ったと記録されています。すると「かねて耳驚かしたる二堂開帳す」という文章と矛盾します。「おくのほそ道」は、門人たちだけに読まれるのではなく、出版して広く世間の人々に読んでもらうため不特定多数の読者の存在を念頭に書かれました。(実際の出版は芭蕉の死後になりました)「読者の感動を引き出したい」これが芭蕉の願いでした。「おくのほそ道」は、旅の記録を正確に残すことを目的とした紀行文ではありません。読者の存在を常に意識して、何度も推敲を重ねて生まれた紀行文です。それ故に、名文、名句満載のあの名作が完成したのです。
「おくのほそ道」は、文芸作品として古典の中でもひときわ光る存在です。
古典の入門書として「おくのほそ道」を読む。
「おくのほそ道」の読み方の正道は、もちろん芭蕉がその旅を記した順に「漂泊の思い」から始まり、「大垣」までの四十四の章を順番に読み進めていくことです。紀行文ですから旅の順番に読むのが当たり前と思われますが、この正道に従って読み進めていくと、古典の入門書として「おくのほそ道」を選んだ場合、大方の人が途中で挫折します。完読を目指して初めから順番に読み進めると、どうしても早く読み進めること、早く読み終えることを優先してしまうのです。そのため繰り返し読むことなく浅い理解と味わいのまま先に進んでしまい、そのうち何を読んでいるのかわからなくなり、次第に読む意欲を失います。古典の読書で陥りがちな過ちです。
「おくのほそ道」は訪れた名所旧跡の印象と旅中の出来事を記した文章が一つ一つ完結しており、文章も比較的短いため、完結した短い文章をそのまま名文として取り上げることができます。「おくのほそ道」が古典の入門書として適しているのもまさにその点です。
ですから、旅の順番にこだわらず、まず五つの章を選んで繰り返し読んでみることをお勧めします。たとえば「おくのほそ道」に収められた名句を思い出してみましょう。
夏草や兵どもが夢の跡・平泉
閑かさや岩にしみいる蝉の聲・立石寺
五月雨をあつめて早し最上川・最上川
荒海や佐渡によこたふ天河・越後路
冒頭の「漂泊の思い」と、名句を含む「平泉」「立石寺」「最上川」「越後路」。この五つの章からスタートさせるのも「おくのほそ道」の読み方の一つです。どの文章も短く、繰り返し読むのに適しています。この五つの章を繰り返し、繰り返し、できれば暗記するくらいまで読んでから、最初に戻り初めから読み進めるのです。名句の章に限らず、「日光山」「白河の関」「松島」「出羽三山」「象潟」といった歌枕・名所を選んでみてもよいかもしれません。このように、はじめは旅の順番にとらわれずに五つの章を選んで繰り返し読んでください。語句の意味と現代語訳を確認しながらゆっくりと丁寧に読んでいきますが、繰り返すほどに読むスピードが上がり、リズムにのって読めるようになります。名文、名句は、繰り返し読むことでその味わいを増していきます。
もし五つの章では多すぎると感じたなら、三つに減らしてください。六つ、七つできそうであればそうしてください。五つの章というのはあくまで目安です。読書に費やせる時間はそれぞれに違いますから、それにあわせて調節してください。
古典を読む場合、大切なポイントがあります。それは「すべて読み終えること(完読)を目的としない」ということです。人が本を読む場合、その本をすべて読み終えること(完読)を目的に読書することが普通です。確かに古典の大作などをすべて読み終えると、どれだけ理解できたかは別にして、大きな達成感が得られます。その達成感を得るために読書する人もいらっしゃいます。それは頂上に登頂することだけを目的に登山をするようなものです。「おくのほそ道」をすべて読み終えよう(完読しよう)などと考える必要はありません。同じ章を何度も繰り返し読んで、その文章や句を味わうことに注意を向けてください。それは、山の空気、景色、自然を味わうことを大切にしながら歩を進める登山と同じです。いつ山頂に到着するかはわかりませんが、山の新鮮な空気を思い切り吸い、目の前に広がる広大な景色に感動し、高山植物との触れ合いを楽しみながら歩を進める登山です。すると気がつけば頂上についています。「おくのほそ道」も完読を目的にせず、その文章や句を何度も繰り返し味わいながら読み進めれば、気がつけば完読しています。実際、芭蕉の旅もそのようなものでした。歌枕に想いを馳せ、訪れた先の風景を楽しみ、人情に癒されながら、文章をつくり、句を考える。時には蚤と虱に眠られず、持病に苦しめられながらも、気がつけば大垣という旅のゴールにたどり着いていたのです。
自分だけの名文との出会い
完読を目的としない読書を実践していると、自分だけの名文との出会いがあります。有名ではないけれど、自分にはとても大切に思える文章、そんな文章と出会うことができます。
「五十丁山に入りて永平寺を礼す。道元禅師の御寺也。邦機千里を避けて、かゝる山陰に跡を残し給ふも、貴きゆへ有りとかや。」第四十章・汐越の松・天龍寺・永平寺
五十町ほど山の中に入り永平寺を礼拝した。道元禅師によって開かれたお寺である。他の有名な寺院は、権力の膝下である京、奈良といった畿内(都とその近隣地域)に建てられている。その畿内から千里も離れた山深いこの地に御寺を建てられたのには、貴い理由があってのことだそうだ。
この短い文章の中には、道元禅師の永平寺がギュッと凝縮されています。それは禅寺の永平寺ではなく、名刹の永平寺でもありません。道元禅師の永平寺です。「権力から遠く離れているが故に貴いお寺がここにある」芭蕉は道元禅師の永平寺をそう記しています。(「修証義」の解説サイトをご参照ください)
完読を目的としない読書では、誰もが一つや二つ、こうした大切な文章に出会います。しかし、完読を目的に古典を読むと、その大切な文章に気づかないままひたすら先を急ぐことになります。前の章の繰り返しになりますが、古典を読む場合に最も大切なのは「何度も繰り返して読む」ということです。その繰り返しの中に古典の魅力と味わいがあります。
「漂白の思い」「平泉」この二つの章を徹底的に何度も繰り返し読んでみてください。文章の味わいの中に「おくの細道」とはこういう作品なんだということが見えてきます。