学而第一 十四章 「君子は食飽くを求むること」
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人生有道に帰す
「君子たる者は、美食や安楽な住まいを求める前にすべきことがある。余計なことは言わずにただ本来の仕事に励み、自分より優れた人に自分の批判を仰ぎ、欠点を正してもらうようであれば、好学の者といえよう。」
孔子の時代から約一千年後、六朝時代の詩人に陶淵明がいます。陶淵明は官職に就けどもなかなか昇進できず、四十一歳で官を辞し郷里の農村へ帰り農耕と詩作に励みます。陶淵明が故郷で田畑を耕しながら作った詩の一節をご紹介します。
人生有道に帰す(人が生きるとは道徳を修めることに他ならないというが、)
衣食固より其の端なり(それはあくまで衣食の安定があってこそだ)
孰か是れ都て営まずして(それをまったく心配することなく)
而も以て自ら安んずるを求めんや(自分の心を安らかに保つことなど誰ができようか)
冒頭の「人生有道に帰す」は論語のこの章に由来しています。
「孔子は人が生きるとは道徳を修めることに他ならないというが、それはあくまで衣食の安定があってこそだ。それをまったく心配することなく、自分の心を安らかに保つことなど誰ができようか。」と陶淵明は自分自身の現実を嘆いています。官を辞して故郷で悠々自適の生活を夢見た陶淵明でしたが、現実とのギャップは大きく暮らしに追われる毎日だったようです。陶淵明にとっては、この孔子の言葉よりも「衣食足りて礼節を知る」という管仲の言葉の方が現実感があったでしょう。
「倉廩実ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る(そうりんみちてすなわちれいせつをしり、いしょくたりてすなわちえいじょくをしる)」人は米蔵がいっぱいになって(物質的に満たされて)初めて礼節に心を向ける余裕ができ、衣食が満たされて初めて名誉と恥辱の何たるかを知る。
上記は、春秋時代の斉の名宰相管仲の言葉で、短く「衣食足りて礼節を知る」として知られています。しかし富める人の中に「衣食足りても礼節を知らず」という人が多く存在することも否定できません。