およそ、この道、和州・江州において 一頁

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幽玄と物まね

江州には、幽玄の境を取り立てて、物まねを次にして、かかりを本とす。和州には、まづ物まねを取り立てて、物数を尽くして、しかも幽玄の風体ならんとなり。

観世寿夫著「心より心に伝ふる花」に「幽玄と物真似のささえ」P49〜P61 と題した章があります。そこからの一部を抜粋要約してご紹介します。

「幽玄」について
「幽玄」の「幽」は奥深くかすかという暗いイメージ、「玄」も玄米とか玄人などというイメージで、この二字を重ねた「幽玄」となれば、深遠な薄暗さ、「わび」「さび」といった感じを与えそうである。しかし、観阿弥と世阿弥がいう幽玄は、基本的には華美で優雅な美しさであり、また柔和で優しく美しい(優美な)もののことであった。「花」は観客との間に生まれるものであるのに対して、「幽玄」は作品あるいは役者の芸にそなわる美しさとしている。美というものは理屈ではなく感覚である。しかも「幽玄」といって表現しようとする美は、これこれこういうものだと説明するわけにはいかないものだ。形として捉えることはできない。演技の技術であれば努力次第で身につけられるが、「幽玄」は努力すれば身につくというものではない。つまり、稽古で習得することは不可能なものである。美的感覚というものは理論、意志、修行の埒外にある。


「物まね」について
「物まね」とは、狭義の演技術のことである。役柄のいろいろをこなす態のことである。したがって修練によって把握することが可能である。役者としてはつい「幽玄」よりも重視しがちだ。「物まね」技は観阿弥以前から大和申楽の伝統的特徴の一つだった。当時の「物まね」は、まずは表象的な、ことばの字義通りを説明する演技であったろうかと考える。観阿弥以前のそれは、老人でも女でも鬼でも、外形的にそれらしく捉えて模倣しようとするものであったろう。それが観阿弥の時代に暫時洗練されて、世阿弥の時代となり、「花伝第二物学条々」を執筆する頃には、いわば写実的演技を理想とするところへ来ていたのだ。「およそ、なに事をも残さず、よく似せんが本意なり」と説き、役柄の種類は「女」「老人」「物狂」「鬼」・・・・九種類を挙げている。これらを演者の年齢、曲の性格、役の状況などの上に立って細かく写し出そうとするわけである。それ以前のおおざっぱな誇張的な演じ方からは、大きな進歩だったと思われる。


「幽玄」と「物まね」を支えとして生まれた「夢幻能」
「物まね」芸、そして「鬼」の芸は、観阿弥・世阿弥が属した大和申楽の伝統芸であったが、「幽玄」はむしろ近江申楽が得意とした歌舞性などから取り入れたものであったらしい。近江申楽は問答劇よりは歌舞劇の性格が強かったようだ。「幽玄」志向は、観阿弥に発し、世阿弥に至って、自家の「鬼と物まね」の芸と溶解・融和させることに成功したといえるだろう。「幽玄」とは柔和な抒情性のことであり、「鬼」の芸とは、当然ながら古代的祭祀性と呪術性を含む物である。そして「物まね」は劇的な演技の下地である。「物まね」と「幽玄」という、世阿弥が一生かけて探りつづけ、練りつづけたものを支えとして、夢幻能が生まれたのである。そのゆえにこそ、それは、まことに強い生命力を蔵しているのだ。

the 能. com の能楽用語事典「夢幻能」

物まねばかりに偏るな。

真実の上手は、いづれの風体なりとも、漏れたる所あるまじきなり。一向きの風体ばかりをせん者は、まこと得ぬ人の技なるべし。

世阿弥は、大和申楽の役者連中が相も変わらず物まねばかりを重視し、幽玄な芸風を取り入れようとしないことを嘆いています。

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