およそ、今の条々工夫は 一頁

PDF252ページ

寿福の欠けた名人

たまたま得たる上手になりたる為手も、身を頼み、名に化かされて、この故実なくて、いたづらに名望ほどは寿福かけたる人多きゆゑに、 これを嘆くなり。

この文章は、世阿弥自身のことを述べています。「都で名人と褒め称えられても、衆人愛嬌を欠いた自分は、しょせん寿福の欠けた名人にすぎない」と自分自身を嘆いているのです。

気配り忘るべからず

得たる所あれども、工夫なくてはかなはず。得て、工夫を極めたらんは、花に種を添へたらんがごとし。

「衆人愛嬌」に何が必要かといえば、それは「心の工夫(配慮・気配り)」です。

「心の工夫(配慮・気配り)」の具体的な姿について述べたのが、PDF250ページから251ページ の亡父観阿弥について述べた以下の文章です。
亡父は、いかなる田舎・山里の片辺りにても、その心を受けて、所の風儀を一大事にかけて、芸をせしなり。(亡き父観阿弥は、どんな田舎や山里の辺ぴな所であっても、そこの人々の心・気持ちをのみこんで、その場所の風俗を特に大事に受け止めて、芸をしたのである。)

観阿弥は心の工夫(配慮と気配り)を決して忘れませんでした。つまり、すぐれた芸力を持つ上手な役者であるだけでなく、稀代の気配り上手でもあったのです。芸力と気配り。この二つを持つ役者こそ、寿福を授かった役者だいえます。これは現代社会でも同じことがいえるわけで、仕事の能力がいくら高くとも、人間関係をうまく構築する気配りにかけると組織の評価は得られません。 能力と人柄、この二つがあればこその寿福です。

観阿弥の世阿弥への遺言

たとひ、天下に許されを得たる程の為手も、力なき因果にて、万一少し廃るる時分ありとも、田舎・ 遠国の褒美の花失せずは、ふつと道の絶ふる事はあるべからず。道絶えずば、また天下の時に会ふ事あるべし。

この文章はまるで観阿弥から世阿弥への遺言のように聞こえます。しかも世阿弥の未来を的確に予見しているようにも思えます。

生まれついての容姿の美しさ、溢れる芸の才能と教養、将軍義満の愛顧、父観阿弥の率いる観世座の興隆・・・観阿弥が在世の時、世阿弥の人生は順風の連続でした。世阿弥にとってそれは当たり前のことでした。しかし苦労人の観阿弥はそんな息子世阿弥の将来に強い危惧を持っていたにちがいありません。

「お前のこれまでの人生は恵まれすぎていたのだ。これから先もそれが永遠に続くと思うな。いや、恵まれすぎていた分、その反動が大きいのが人生というものだ。いつか将軍の愛顧を失い、都での芸人としての人気も落ちる時が来るだろう。その時は、遠国・田舎の大衆を頼りにせよ。この観世一座の底を支えてくれているのは、将軍の愛顧でも、都の人気でもない、遠国・田舎の大衆の人気なのだ。だからこそ、遠国・田舎の大衆から愛されることを忘れてはならない。『この芸とは、衆人愛嬌を以て一座建立の寿福となす』これがすべてだ。」

父の予見通り、世阿弥と観世座は将軍家の愛顧を失い、都での興行を止められ、長男元雅は伊勢で客死、次男元能は出家して世阿弥の家は途絶えてしまいます。元雅が亡くなった翌年、世阿弥が七十歳で著した「却来花」の序に「元雅早世するに因て、当流の道絶えて、一座既に破滅しぬ。」と書かれています。「当流の道絶えて、一座既に破滅しぬ」という言葉が世阿弥の口から放たれるとは、若い時代の世阿弥と観世座の興隆を知る人からは想像できなかったことでしょう。

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