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観客は、この若さが発するはつらつとした芸の新鮮さに魅了されます。一方、役者は、立ち合い勝負(競演)において、かつて名人といわれた役者に勝ったりすると、自分はもはや名人ではないかと自惚れてしまいます。しかし、それは若い盛りの魅力と観客が一時的にそれを新鮮と感じることからくる花にすぎません。ゆえに、この頃の花を初心というのです。だからこそ、自惚れを捨て今の自分は未熟な初心であるという自覚を持ち、稽古に邁進せよと世阿弥は教えます。初心にあっては、稽古に邁進することが自惚れを捨てることにつながるからです。本文に「いよいよ物まねをも直にし定め、名を得たらん人に事を細かに問いて、稽古をいや増しにすべし」とあるのはそれを言っています。
「時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり」ここでいうところの「心」が「初心」です。世阿弥は「初心とは、それがいずれ失われてしまう花であると気づかず、その花を自分の本当の実力だと思い込む心であり、その心が真実の花をよりいっそう遠ざけていく」と伝えています。
