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「今の自分の力を自分自身で正しく認識していれば、それ(今の自分の力)が失われることはない。しかし、今の自分の力を自分の実力以上に過大評価するなら、それ(今の自分の力)は消えて無くなってしまう。」これは芸事だけにいえる言葉ではありません。現代でも様々な分野で通用する言葉です。この言葉通りの経験をした人も多くいらっしゃると思います。
「自分は若い頃から兵法の道を心がけ、十三歳で有馬喜兵衛という兵法者に打ち勝ち、以後二十八、九歳まで諸国を回って六十回ほど勝負をしたが、一度も負けたことはなかった。しかし自分が勝てたのは兵法を極めたからではない。才能に恵まれ天の理にかなっていたからか、他流の武芸が不十分だった(相手が弱かった)からにすぎない。その後、一層深く兵法の道理を得ようと朝鍛夕錬(毎日不断に継続する稽古)し、おのずと兵法の道に達した。私が五十歳の頃である。それ以後は極めるべき道もなくなり月日を送っている」これは「五輪書」にある宮本武蔵の言葉です。十三歳から六十数回の勝負をして一度も負けなかった宮本武蔵は、佐々木小次郎を倒し兵法者として天下の頂点にあった三十歳の時に「自分はいまだ兵法の道を極めていない」と気づきます。そして、その後二十年間の朝鍛夕錬(毎日欠かす事なく続けられる厳しい稽古)を続け、五十歳の頃、ようやく兵法の道を極めたと告白しています。武蔵は兵法者として絶頂にあった三十歳の時、自分自身を過大評価することなく、その力を正しく認識したのです。もし、その気づきがなければ、その後の武蔵はありませんでした。どこかでだれかと勝負して命を落としていたでしょう。そうであったら、宮本武蔵という名は歴史に残らなかったはずです。三十歳の絶頂期での気づきが、宮本武蔵の名を偉大な兵法者として歴史に刻みつけました。
世阿弥が二十一歳の時、父であり師であった観阿弥が亡くなりました。二十一といえば、芸もまだまだ未熟な初心の入口、そんな時期に世阿弥はこれまで自分の芸を客観的に評価、批判してくれていた指導者を失ったのです。もちろん、世阿弥は他に抜きん出た才能と実力を持っていましたから、観阿弥亡き後も観客からの人気が落ちることはありませんでした。そして二十四、五歳になった世阿弥は、向かう所敵なしという若い盛りの時分の花を咲かせます。ここで世阿弥は「もし父観阿弥が存命であれば、今の自分をどのように評価するであろうか」と考えます。役者として、また息子として観阿弥の偉大さを誰よりも知っている世阿弥は、死してなお常に自分の芸を観阿弥に問い続けたのです。肉体は朽ちて無くなろうとも、観阿弥の心は世阿弥の中で生き続けていました。そして亡き観阿弥の心から世阿弥の心へ伝えられたのが、上の段に画像で表示した「公安して思うべし・・・・・・よくよく心得べし」の言葉でした。
