年来稽古条々

「年来稽古条々」「物学条々」「問答条々」の三つは、風姿花伝の中で世阿弥が三十八歳の時に最初に執筆した本編です。「年来稽古条々」は、役者の稽古のあり方を「七歳」「十二三より」「十七八より」「二十四五」「三十四五」「四十四五」「五十有余」の七つの年齢段階に分けて書き記しています。よって「七歳」から「三十四五」までの五段階は、世阿弥自身の経験と記憶が多分に反映していると考えられます。子供時代である「七歳」と「十二三より」は、役者本人ではなく、その指導者に向けて書かれており、「七歳」「十二三歳」頃の子供には、このように指導せよと、その指導内容が具体的に記されています。「十七八より」「二十四五」「三十四五」は役者本人に向けて書かれていますが、世阿弥自身の人生の断片を読んでいるような興味深い内容です。「四十四五」「五十有余」については、亡父観阿弥のその頃の様子を伝えています。能役者としてよりも人間としての観阿弥をイメージさせてくれる内容です。世阿弥の三十八歳というと、父観阿弥が亡くなって十六年の年月が過ぎた頃です。役者として、また座の棟梁として、独り立ちするためのそれまでの努力と苦労が報われ、芸は盛りを極め、座の棟梁としても円熟味を増した時分です。しかも芸だけでなく座の後ろ盾でもあった足利義満はいまだ健在で、それまでと変わらぬ庇護を世阿弥と観世座に与えてくれていたのです。
PDF 9ページ・159ページ
白洲正子はその著「世阿弥」において、年来稽古条々について下のように記しています。(白州正子「世阿弥」講談社文芸文庫P27ーP28)

次ページ以降の年来稽古条々の各条から「人間の中から、技法が生まれ出るような、見事な文体」を抜き出してみます。
