新しき年の初めの初春の〈巻二十・ 四五一六〉大伴家持

家持は、新しい年の幸運を願う自らの歌で万葉集の最後を締めくくりました。そこには、一年が終わりそして新しい一年がやって来るように、「自分も新しく生まれ変わりたい」という新生の思いが込められているように思えます。

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<語句解説>

歌を深く味わってみます。

大伴家持が因幡の国司となって赴任した正月の宴席で読んだ歌です。万葉集に収められた最後の歌として知られています。

山陰の雪は湿り気を含んで重く、風に飛ばされることなくただ静かに降り積もっていきます。

「新しい年を迎えるにあたり、みなさんに一言ご挨拶をさせていただきます。今日、正月と立春の重なったこのめでたい日に降り積もる雪のように、めでたいよいことがたくさん重なる一年にいたしましょう」

この年は、正月と立春が偶然にも重なるめでたい年でした。また正月に降る雪は慶事の予兆とされていました。しかし、この歌は、ただそのめでたさだけを詠った歌ではありません。人が未来の幸福を願うとき、そこには今現在への不満があります。今幸せが実感できないから未来の幸福を願い、現状に満足できないから将来に期待するのです。

家持は名門大伴氏の嫡流(本家)に生まれました。家持の生きた時代は藤原氏が大きく勢力を伸ばした時代でもあり、藤原氏の勢いに名門大伴氏は衰退の気配を濃くしていました。家持自身もたびたび政争に巻き込まれ政治的には不遇でした。この歌には衰退していく一族の運命と不遇のわが身を憂い、よい方向へ向かうことを願う家持の思いが詠み込まれています。

大伴氏は軍事で朝廷に仕えた武門の一族です。親分肌の父旅人が強いリーダーシップで一族を率いていったのに対して、家持は父ほどの強いリーダーシップを発揮できませんでした。藤原氏が勢力を増す中で、家持は一族を統率できず、内乱や政争に巻き込まれた大伴氏は、多数の処罰者を出し勢力を弱めていきます。そうした中、家持は、大伴一族の結束を固め勢力の回復をはかることよりも、歌の道に関心を強めていきました。万葉集には家持の詠んだ歌が473首収められています。万葉集の編纂に家持が関わったことも確実です。そして、家持自身がそれを望んだわけではありませんが、家持の歌人としての名声が高まるにつれ、大伴氏はその衰退の気配を濃くしていきました。

一族の盛衰も人生の浮き沈みも避けることができない必然です。ある一族が栄え続けることなどあり得ませんし、順風ばかりの人生もあり得ません。よい時があればわるい時もある。同時に、よい時には見えないけれど、わるい時だからこそ見えてくる大切なものもあります。一族の衰退と不遇のわが身を憂いながら、しかし不遇なればこそ、家持には何か大切なものが見えていたに違いありません。

家持は、新しい年の幸運を願う自らの歌で万葉集の最後を締めくくりました。そこには、一年が終わりそして新しい一年がやって来るように、「自分も新しく生まれ変わりたい」という新生の思いが込められているように思えます。