學而第一  二章 「その人と為りや孝弟にして」

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有子

有子は孔子の弟子です。姓は有で名は若(じゃく)。字(あざな)は子有(しゆう)。字とは、成人男子が実名以外につけた名です。弟子の中では年長で長老格でした。しかもその容姿風貌が孔子に非常に似ており、孔子の死後、他の弟子達から孔子にかわって有若を師としようという意見がありましたが、曾子が「誰であれ孔子に代わりうる人などいない。」と反対したことが「孟子」に出ています。論語に出てくる孔子の弟子たちの中で「子」の尊称で呼ばれるのは有子と曾子の二人のみです。

孝弟とは

「孝弟」の「孝」は親孝行の孝。「弟」は「弟順」の弟、つまり年長者(兄)に従順で逆らわないことです。孝弟とは「親孝行で年長者に従順である」という家庭内の道徳を意味します。有子は「孝弟」こそが人が努力すべき根本(務めるべき本)であり、仁の根本(仁の本)だと主張しています。もちろん、これは厳格な身分制度を背景にした封建社会での主張です。封建社会は身分制度によって社会秩序が保たれていました。身分の上下を規定し、その関係を厳格に守る事が社会秩序を保つ根幹でした。そしてその出発点(根本)が孝弟だったのです。

「仁」とはなにか

仁は「人」と「二」で出来ているその文字の形が示す通り、二人が相和親することを本義に人間相互の愛情と信頼を意味するとされています。この意味からすると、有子は孝弟こそが人間相互の愛情と信頼の出発点であると主張していることになります。

孔子は仁を最高の道徳とし、日常生活に遠いものではないが、容易に到達できぬものと考えていました。論語の中で孔子は弟子達の仁についての問いに対して、それぞれに異なる定義を与えています。その優秀さを最も愛した弟子顔淵(顔回)に対しては「己れに克ち礼に復る(私欲に打ち勝ち、人間生活の基本である礼にたちかえる)」と答え、これも優秀さを孔子に認められていた仲弓に対してはの欲せざる所、人に施すことなかれ(自分が人からされたくないことは、人にこれを行ってはならない)」と答えています。そして若い弟子燓遅に対しては「人を愛す」とだけ簡潔に答えています。(いずれも論語・顔淵篇より)。

鎌倉時代に宋に渡り禅を学び、日本に帰国して曹洞宗を開いた道元が、その著「正法眼蔵」の中で次のように述べています。「玉は琢磨によりて器となる。人は錬磨によりて仁となる。」玉とは宝石の原石です。それは磨かれることで器(器物=役に立つ道具)となります。人は自己の心身を鍛え磨くことで仁(仁者=人格者)となる。

仏教者である道元は、仁を仏教でいうところの「悟り・覚り」のごとく考えていたようです。仏教において悟りに至るとは、迷いを断ち切り永遠の真理を体得することであり、特に禅宗では悟りは仏道修行の到達点とされます。坐禅、読経、作務など様々な修行を通して自分を鍛え磨くことで悟りに至るのです。道元は、悟りのごとく仁も、礼、義、信といった徳目の正しい実践(修己)の到達点と考えていたのだと思います。

孔子は論語の中で仁を明確に一つに定義せず、上に記した論語・顔淵篇にあるように弟子達の問いに対してそれぞれに異なる答えを与えています。それは弟子達の能力や性格に応じて仁に至る道をそれぞれに方向づけているようにも思えます。孔子は、仁に至る道は様々で、その能力、性格、環境などによってそれぞれ異なっていると考えていたようです。孔子は仁を最高の徳としながらも、義・信・礼といった他の様々な徳をすべて身につけることで到達する徳の最高到達点とは考えてはいませんでした。仏教の悟りとはその点が根本的に違います。

仏教でいう悟りを言葉だけであらわすことはできません。孔子のいう仁も言葉だけで明確に言い切れないものがあります。しかしそこに至る道(修行・修己)こそが大切であることは、悟りも仁も同じです。

今も生きる孝弟

孝弟は日本人に強い影響を及ぼしながら、長い時間をかけて日本社会の中に溶け込んでいきました。今わたしたちは孝弟という言葉を知らなくとも、それが溶け込んだ社会の中で生きています。年長者に自然に敬語を使ったり、先輩と後輩では接する態度に違いがあるのはそのためです。日本人は、家庭で、学校で、職場で、時に反発しながら、時に当たり前の如く、孝弟を実践しています。

日本社会に溶け込んだ孝弟は、日本独特の制度や仕組みとなって姿を表すこともあります。かつて日本の高度経済成長期に日本経済躍進の原動力としてもてはやされた日本的経営。終身雇用とともに能力ではなく年齢で賃金や出世が決まる年功賃金や年功序列の制度はその典型です。企業とは一つの家族であり、経営者と社員、上司と部下・先輩と後輩の関係にも孝と弟順が求められたのです。こうした年功制や経営家族主義といった制度や仕組みは、昔ほどではないにしろさまざまな業種・業界で今でも当たり前に残っています。

渋沢栄一は論語講義の中で次のように述べています。

そもそも人間はいかほど知恵があっても、その人情に親切なるところがないと、その知恵は悪智悪覚(悪い知恵と悪い覚り)となり、悪事を働いて人を害し、自分自身の身を損なう。故に私は人を採用するときは知恵の多い人よりも人情の厚い人を選びます。孝悌(悌は弟に同じ)の道に厚く親兄弟に親切な心のある人を好んで採用します。そういう人は自分より地位が上の人を軽蔑侮辱することはなく、乱逆の振る舞いをすることは絶対にない。つまり人情が厚く、孝悌の道をわきまえた人を集めて、官庁の公務をなし、銀行・会社の事業を行えば、決して不始末を生じ破綻を起こす心配はない。

今この渋沢の文章を読んで100%賛同できる人は少ないでしょう。しかし日本的経営の原点がここにあり、それは孝悌を本(根本)にしたものであることがよくわかると思います。

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