学而第一 三章 「巧言令色には、鮮し仁」
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文章にあるキレと美しさ
「巧言令色、鮮し仁」キレのある文章とはこのことかと思ってしまうくらいに歯切れのよい文章です。巧妙に飾った文章にはキレがありません。しかし、この文章のように、本質をついた短い簡潔な文章には、鋭いキレと美しさがあります。
「巧言」は巧妙に飾った言葉、「令色」は巧みな顔色。つまり、相手の機嫌を取るためのお世辞と愛想笑いです。巧言と令色は外側だけを飾った中身の伴わない言葉と顔色です。これに対して、仁は真心から出た人間愛です。ですから「巧言令色は仁の対極にあるもの」と孔子はとらえています。
巧言令色は現代社会を生き抜くための必須のツール(道具)?
現代社会においては、巧言令色は人間が生きていく上での必須のツール(道具)です。就職や試験の面接、営業や販売などで人と相対する時には、巧妙に飾った言葉と巧みな顔色なくして人と相対することはできません。直接人と相対する時だけではありません。テレビコマーシャルでとびっきりの笑顔で商品を褒めちぎるタレントさん。その笑顔と巧みな言葉が商品の購入につながるのです。選挙運動にいたっては、いつもは先生、先生とおだてられ、人を上から目線でながめる政治家が、とびっきりの笑顔で選挙カーから手を振り、演説会では選挙民の関心を買いそうな政策を言葉巧みに並び立てます。政治家にまず求められる能力は巧言令色であるといっても過言ではありません。
ですから現代人は巧言令色を身につけることにやっきになるのです。巧言令色なくして現代社会を生き抜くことなどできません。もはや仁と結びつけることが不可能なくらいに、巧言令色は現代社会を生きるうえでの必須のツール(道具)になっています。
剛毅木訥仁に近し
論語では子路篇に登場する「剛毅木訥、仁に近し」は「巧言令色、鮮し仁」の反対語とされています。「剛毅」は強い意思で困難に屈しないこと。「木訥」は飾り気がなく無口なこと。「剛毅木訥」とは、困難に屈しない強い意志を持ち、無口で飾らない人という意味です。しかし、ならば仁に近づこうと剛毅木訥な人間を目指すと、現代では無愛想で無口な頑固者に思われます。巧言令色が現代社会を生き抜く必須のツール(道具)であるのに対して、剛毅木訥は社会的な孤立を引き寄せる好ましからざるツール(道具)ということになるのでしょうか。
剛毅木訥は、それを必要とする社会とそれを見抜く人間がいないかぎり、無用の長物です。
巧言令色の行き着く先
太平洋戦争の末期、二十九歳の野村潔中尉は、千葉県の銚子飛行場で特攻隊の飛行訓練の教官をしていました。教えるのは二十歳前後の若い航空隊員達です。それは一ヶ月という短い期間で敵の艦船に体当たりする技術を身につけるという過酷な訓練でした。野村中尉は戦後残した手記で次のように述べています。
「命のある限り反復攻撃させた方が戦果も期待し士気も挙がるのに、これでは単なる気休めで有り、国民に対して死力を尽くしているという宣伝の自己満足に過ぎない」
太平洋戦争末期に行われた特攻は、もはや絶望的な戦局の中で、「軍が国民に対して死力を尽くしている」という姿を見せるためのポーズ、つまり見せかけだったというのです。その見せかけのために若い尊い命が数多く失われたのですから、なんともやりきれない思いがします。
「全力で頑張っているという見せかけ」これも立派な巧言令色です。戦争における軍だけではありません。それは今でも私たちの身近な場所で頻繁に行われており、それが当たり前になれば人間はそれに何の疑いも持たなくなります。それが政治・経済・組織を蝕んでいきます。巧言令色の行き着く先です。
反省の語としての「巧言令色、鮮し仁」
若い時代の孔子は、お世辞と愛想笑いで相手の機嫌を取った経験が少なからずあったのだと思います。切羽詰まった状況で致し方なかったのか、認められたいという思いから当たり前のようにそれを行なったのか、いずれにしても、自分自身の巧言令色の記憶は孔子の心に突き刺さったガラスの破片だったのかもしれません。「あの時の私は本当に仁が少なかった」その反省から出た言葉が「巧言令色、鮮し仁」だったのだと思います。
巧言令色を訓読する
「巧言令色」を書き下し文でそのまま「巧言令色」と使うのはおかしなことだと思いませんか?「巧言令色」も本来は訓読するのが本当の読み方のはずです。「言(げん)を巧(よく)し、色(しき)を令(よく)するは、」昔はこのように読まれていたそうです。