学而第一 四章 「吾日に三たび吾が身を省みる」
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日々の行動と言動を省みる
曾子は孔子より46歳年下で最年少の弟子です。名は参(しん)。若いこの弟子は孔子を神のように敬い、忠実に仕えました。また、大変誠実な努力家であったと伝えられています。
私は毎日三つのことを反省する。
● 人からの相談に真心で応えたか。
● 友人との交際に信義を欠いていなかったか。
● 自分が十分理解していないことを人に伝えることはなかったか。
なんとも誠実な人柄が滲み出る反省ではないでしょうか。
「吾日三省吾身」ここでいう「吾が身を省みる」とは、自分自身の行動と言動を確認(チェック)するという意味です。人生に失敗はつきもので、私達は失敗すると反省します。反省することで失敗の原因を知り、同じ失敗を繰り返すことを防ぐのです。これが「失敗は成功のもと」と言われる所以です。けれども、失敗するしないに関わらず、日々の自分の行動と言動を省みて、それを確認(チェック)する人は少ないでしょう。
しかし、私達は自分では気づかないけれど、日々小さな失敗や間違いを数多く犯しているのです。自らの行動と言動を省みて、毎日それを確認しなければ、その小さな失敗や間違いに気づきません。
夜、布団の中でその日の自分の行動と言動を省みて確認します。「今日の部下への態度は、感情だけが先行し少し思いやりが足りなかったな。」「あの時は気づかなかったが、今日の会議では自分の意見ばかりを主張し過ぎたな。もう少し人の意見にも耳を傾けるべきだった。」・・・・
失敗を反省するのではなく、小さな失敗や間違いを発見するために自らの行動と言動を省みる。この習慣は思いがけない気づきを与えてくれ、私達の人生を豊にしてくれるでしょう。
渋沢栄一、今日一日を点検する
渋沢栄一は「論語講義」の中で次のように述べています。
「私は曾子のこの言葉がもっともわが意を得たりと思い、一日に何回もといえないが、夜間寝床についたとき、その日にやったことや人に応接した言葉を回想し、人のために忠実に行動できたか、友人には信義を尽くしたか、また孔子の教訓にはずれた点はなかったかを反省している。この言葉通り実行すれば、今後その過ちを再びしないように注意するし、行いを慎むうえで効果があるのはもちろんであるが、それと同時にその日その日のことが、一つ一つ記憶に展開されて来るために、これを順序よく頭の中に並べて、一日を点検することができ、深い印象が頭に刻まれて自然に忘れられないようになり、記憶力を増強する効能もある。」
渋沢栄一は満九十一歳で天寿を全うしますが、その事業活動と社会貢献活動は最後まで衰えることがありませんでした。曾子のこの言葉の実践が渋沢の脳力を最後まで支え続けたのだと思います。
傳不習乎
最後の「傳不習乎」は「伝わりて習わざるか」と訓読し、「孔子の教えにはずれることはなかったか」という意味に解釈する場合もあります。渋沢栄一も論語講義ではそのように訓読・解釈しています。ただ論語でこの意味に解釈する場合は「傳而不習乎」と不の上に助字の「而」を入れるのが普通です。
五省
最後に戦前の海軍士官学校で用いられた五省を紹介しておきます。
一、至誠(しせい)に悖(もと)る勿(な)かりしか
真心に反する点はなかったか
一、言行に恥づる勿かりしか
言行不一致な点はなかったか
一、気力に缺(か)くる勿かりしか
精神力は十分であったか
一、努力に憾(うら)み勿かりしか
十分に努力したか
一、不精に亘(わた)る勿かりしか
最後まで全力で取り組んだか
この五省は、昭和初期に海軍兵学校の校長であった松下元少将が考案したもので、日本海軍軍人の精神を象徴する標語として海軍兵学校校舎に掲げられました。松下元少将は論語のこの章を参考にして五省を作成したと思われます。戦後日本占領中にアメリカ海軍の幹部の一人が五省を知り、その精神に感銘し英訳をアナポリス海軍兵学校に掲示しました。つい先日まで敵として戦った相手であっても、尊敬できるものは積極的に取り入れる、この柔軟で合理的な思考が米国の強みだったのです。