学而第一 十章「夫子はこの邦に至るや」
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謙譲の徳
子禽、子貢ともに孔子の弟子。この章は、子禽が兄弟子の子貢に孔子のことを尋ねた質問とそれに対する子貢の答えです。
夫子は大夫(大臣)の職にあった者を指し、孔子のことです。孔子は魯の国の大夫の職にありましたが、権力闘争に破れた後、長く諸国を遊歴しました。
子禽の質問は次のような内容でした。「孔子は行く先々の諸国で政治的な相談を受けられたが、それは孔子から求めたことなのでしょうか、それとも相手が孔子に求めてきたことなのでしょうか。」
それに対する子貢の答えです。
「先生は、『温和で穏やか』『丁重で恭しく』『慎ましく控えめ』な人柄なので、たとえ先生の方から求めたことだとしても、学識を誇る他の人のように自慢気に持ちかけたのとは違うはずだ。」
温良恭倹譲を「温良=温和で穏やか」「恭=丁重で恭しく」「倹譲=慎ましく控えめ」と解釈しました。
子貢は孔子の温厚で礼儀正しく、そして控え目な人柄を、孔子の大きな徳として述べています。これは「謙譲の徳」といわれる東洋的な徳です。謙譲はへりくだることで自己を低く見せます。自己をはっきり主張し己の優位性を認めさせる西洋流の「自己主張」とは対立しますが、謙譲とは、もともと自己を低く見せることで自己顕示欲を戒めるものです。
孔子は行く先々の諸国で決して自分の能力を高く見せようとはしませんでした。つまり自分の方から積極的に自分を売り込むことをしなかったのです。ただ、温和な口調で穏やかに話し、丁重に恭しく人に接し、慎ましく控えめな態度を取ることで諸国の君主の信頼を勝ち取りました。