学而第一 十一章 「父在せばその志を観る」
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孝を評価する基準
「父の存命中は父の志をよくよく観察して記憶にとどめ、父が亡くなってからは亡き父の行動を思い出しながらそれを観察(分析)する。その上で三年父が定めた家を治める道を改めないなら、それが親孝行である。」亡き父の志と行動を観察(分析)することから得た亡き父の家を治める道を継承することが親孝行である。
父の存命中にその命に背かず、父に忠実に仕えることだけが親孝行だと思ってはいけない。父が亡くなった後も父の志と行動を分析し、喪の期間中は亡き父の家を治める道を忠実に継承してこその親孝行である。
子が家を継ぐ場合に限らず、国であれ会社であれ、前任者からそれを継承した時、前任者のやり方をすべて否定してすぐに改革に走るのではなく、まず前任者の道を継承してみる。その上で改革すべき点とそのまま残すべき点を取捨選択する期間が三年の喪と考えれば、それはとても合理的で理にかなった制度のように思えます。
三年の喪
「三年父の道を改むること無き」三年間父のやり方を改めないとは、三年間は亡き父の喪に服すことを意味します。喪の期間は亡き父を偲ぶべきであり、自分の考えで行動すべきでないとされていました。
儒教では人が亡くなってから三年間を喪に服す期間とされています。三年の喪と言いますが、実質的には満二年と一日で、仏教の三回忌と同じです。これは日本の仏教が三回忌として儒教の三年の喪を取り入れたのです。輪廻転生の死生観を持つ仏教には、先祖を供養するという考え方は本来ありません。江戸時代、儒教の広まりとともに、儒教の先祖崇拝の考え方が仏教に取り入れられていきました。私達の日本仏教は多分に儒教的な仏教なのです。