学而第一 十二章 「礼はこれ和を用て貴しとなす」
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和の弊害
有子は第二章で「孝弟なる者が仁をなす本である」と述べた孔子の弟子です。
有子はいいます。「礼の運用においては、厳格という側面だけでなく調和という側面がある。礼はその調和という側面がこそが貴いのだ。古代の聖王達が定めた道徳もこの調和という側面が立派であった。かといって調和ばかりを重視しているとうまくいかないことがでてくる。調和が大切だからと調和したとしても、礼の持つ厳格な側面を土台としてこれに節度を持たせなければ、調和に締まりがなくなりうまくいかないものだ。」
「和を以て貴しと為し、忤(さから)うこと無きを宗とせよ。」(和を何よりも大切にし、争いの無いことを根本にしなさい。)聖徳太子は憲法十七条にこの論語の言葉を引用しました。「和を以て貴しと為す」の精神はその後の日本社会の様々な面に作用したといわれます。たとえば、終身雇用、年功賃金、労使協調に代表される日本的経営のルーツも「和を以て貴しと為し、忤(さから)うこと無きを宗とせよ。」にあります。
古来より日本社会は「和(調和)」を尊んできたのですが、和を中心に何事かをなそうとすれば、そこに合理性や効率を欠くことが多々あります。根回し、談合、縁故のルーツも、やはり「和を以て貴しと為し、忤うこと無きを宗とせよ。」の精神を元にしています。それは緊張感を失い締りのなくなった「和」の成れの果てです。東京オリンピックのスポンサー契約をめぐる汚職などその最たるものでしょう。今の日本社会は「和」のマイナスに蝕まれているのかもしれません。
それにしても二千五百年前に和ばかりを重視することの弊害が説かれているとは、すごいことではないでしょうか。