学而第一 六章 「弟子入る則ち孝し」

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江戸時代の教育

「まず道徳を日常生活でしっかり身につけることが大切である。学問をするのはその後でも十分だ。」通釈ではこのように解釈されています。「教育の根底に道徳を置け」「教育を道徳で支えよ」という意味にも解釈できると思います。

江戸時代の日本は、世界最高レベルの教育国でした。その教育レベルの高さは、八割を超える庶民の識字率によって証明されています。一部の支配階層だけでなく庶民のレベルまで読み書きができるということは、当時世界的にも希有のことでした。幕末期に日本を訪れた外国人の多くがこの日本人の識字率の高さに驚いたそうです。

その庶民の読み書きの能力を養成していたのが、寺子屋と呼ばれる手習い塾です。寺子屋への就学率の高さがそのまま識字率の高さへとつながっていました。

寺子屋の師匠は、子供達に文字の読み書きを教える前に、まず礼儀作法を厳しくしつけます。寺子屋では、礼儀作法を心得たものだけが読み書きを学ぶ資格があるとされました。寺子屋は、読み書きを習う場である前に、まず礼儀作法を身につける場であったのです。

もちろん子供達への教育は寺子屋だけでなされるわけではありません。家庭も、町や村などの共同体も、ゆるやかなネットワークを組みながら子供たちを人格の面から育てていきました。教育において、何よりも人格形成が優先されたのが江戸時代の教育です。

当時は礼儀作法を身につけることが人格形成の第一歩とされました。その礼儀作法は第二章で仁の本とであるとされた孝悌に基づくものです。つまり父母・年長者・目上(社会的上位者)に対して礼儀を尽くすことが道徳の始まりだったのです。

そしてこの人格教育は明治に入っても学校教育に引き継がれ、孝悌は近代化(西洋化)と対立することなく社会の根底を支え続けていきました。明治二十三年に発布された教育勅語(明治天皇が示した近代日本の教育方針)を参照してください。

数学者岡潔の教育改革

世界的な数学者で孤高の天才数学者とも言われた岡潔(1901年ー1978年)のエッセイ集「春宵十話」(1963年)に教育改革について触れた箇所があり、岡潔は次のように述べています。

教育は徐々に変えていかなければ混乱が起きる。だから今の世代(当時二十歳前後の世代)については直しようがない。その世代が社会の中堅になった時に困らないように、年下でしっかりした世代を養成するしかないが、その時混乱を起こさないためには、いまから年齢などにあまり重点を置かない習慣をつけるほうがよいだろう。年長者を大事にしろというしつけをしていると、将来困ったことが起きるかもしれない。

岡潔がこのエッセイを書いてから六十年が経過した今、私たちは理屈以上に感覚でこの文章の意味が理解できます。教育だけではありません。今日本が直面している様々な問題の根底に孝悌が横たわっています。

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