申楽座名 一頁

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大和申楽四座の寺社参勤

古くから有力な寺社が存在して芸能が育つ基盤があり、有力寺社を中心に商工業や芸能の座が発展した大和には、多くの申楽の座がありました。その中でも十四世紀末から春日興福寺の神事に参勤した四座が有力でした。最も早く興福寺と結びついたのは金春座(円満井)で、申楽の始祖である秦河勝の直系を自称し、各種の特権が認められていました金剛座(坂戸)はかつて法隆寺に参勤した座で、坂戸とは法隆寺付近の昔の地名です。宝生座(外山)は桜井市外山を本拠とした座で、観阿弥の兄が養子となってその座を継ぎました。観世座(結崎)は観阿弥が磯城郡川西町結崎に新しく組織した座です。

観世と宝生の両座は、本来は多武峰妙楽寺(談山神社)へ参勤する座でしたが、法隆寺参勤の金剛座と同様、大和一国を支配した春日興福寺の勢力下に入りました。

大和盆地の南部を本拠とする四座は、興福寺の薪申楽、春日若宮祭、多武峰妙楽寺の八講申楽への参勤を義務として負い、立会い(競演)で能を競い合う一方、姻戚関係による人的交流や芸の影響を相互に及ぼしつつ発展していきました。その中で十四世紀後半に並び立つ諸座から抜け出して台頭したのが観阿弥の観世座です。

以上は昭和51年2月発行月刊太陽特集「能」世阿弥の生涯から「四座と観阿弥の台頭」P21を参考にしています。

the 能. com の能楽用語事典「大和猿楽」

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