老人 二頁

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また、芸に魅力がなければ面白さもない。いったい、老人の身のこなしを演じるのに、老人だからといって、腰と膝をかがめ、身を縮めたのでは、芸に魅力がなくなり、古くさい演技に見えてしまう。したがって、面白さは少ない。ただ、大体において、決してそわそわせず、上品に振る舞うべきだ。
とりわけ、老人の舞う姿、この上なく難しい。芸に魅力がありながらも年寄りに見える工夫を、詳しく研究しなくてはならない。それは、ただ、老木に花が咲いた如くであらねばならない。
私たちイメージする老人の姿は、曲がった腰で膝をかがめ、身を縮めて杖をついて歩く姿だと思います。その意味では、世阿弥の時代も今も老人のイメージは大きく変わっていません。ただし、これはあくまで一般に思いつく老人の姿、イメージです。高齢化が進んだ現代では、高齢者がすなわち老人ではありません。70歳を越えてジョギングやテニスを楽しんでおられる方は大勢いらっしゃいます。80歳過ぎても現役で仕事を続けておられる方さえおられます。老人の定義はあいまいで、老いを年齢だけで決めつけることはできません。
世阿弥は、曲がった腰で膝をかがめ、身を縮めて杖をついて歩く一般的な老人の姿では、芸に魅力がなく、古くさい演技に見えてしまうといいます。老人であっても、落ち着いた様子で、上品に振る舞ってこそ、芸に魅力がでてくるのです。また、老人の舞う姿をまねることはこの上なく難しいともいいます。それは芸に魅力がありながらも年寄りに見えなければなりません。つまり、老木に花が咲いた如くにあらねばならないのです。ここで年来稽古条々・五十有余の二頁にある「観阿弥の最後の様子を伝えている文章」を再読してみてください。世阿弥は父観阿弥の最後の能に老骨に残った花を見たと述懐しています。観阿弥最後の能は、真実の老人の能だったのですから、老人でない者が老人の物まねをする以上のものがそこにはあったはずです。世阿弥が見た老骨に残った花は、老木に咲いた花よりも見事な花だったと思います。
世阿弥は、年来稽古条々・五十有余の冒頭で、「この頃よりは、大方、せぬならでは手立てあるまじ。『麒麟も老いては駑馬に劣る』と申すことあり(この頃・五十歳を越えてからは、だいたい何もしないよりは他に方法がない。『麒麟も老いては駑馬に劣る』と言われている)」と述べています。若い時代には名人と評判を取った役者(麒麟)も、老いてからは平凡で才能のない役者(駑馬)にさえ劣るのが現実だ。これは「役者の老」について述べたものですが、世阿弥が「老(おい)」をどのように捉えていたかがよくわかる一文です。仏教の四苦(人生にある四つの苦しみ)の中に「老」があるように、世阿弥は「老」をよいものとして肯定的に捉えてはいません。同時に、世阿弥は「老」を生きている限り誰もが避けることのできない宿命的なものと捉えていました。ですから、老に争って(あらがって)老を打ち負かそうとも考えていませんでしたし、老を克服できるとも考えていませんでした。「せぬならでは手立てあるまじ(何もしないよりは他に方法がない)」この言葉がそれを如実に表しています。
ここで「二曲三体人形図」の老体についてもふれておきます。


これは(この絵図は)、衣装を整えてそれを着たならよき老体の姿となるその体格である。この人体をよくよく心眼でもって観察し、老体の立ち振る舞いをするようにせよ。花鏡に「まず、そのものによく成り切って、然るのちにその態をよく似せよ」とあったのはこれである。忘れてはならない。
閑心遠目の「閑」は「のどかでぼんやりと落ち着いた」という意味です。よって「閑心遠目」とは「のどかにぼんやりと遠くを見ている」風情を思う浮かべればよいと思います。世阿弥は「老」を、生きている限り誰もが避けることのできない宿命的なものとして表現したかったのです。「閑心遠目・のどかにぼんやりと遠くを見ている」この風情にこそ、それが表現されています。老を肯定するのでもなく否定するのでもなく、それを宿命的なものとして淡々と受け入れていく。閑心遠目の中にはそんな人間の姿があります。そして、父観阿弥の老後の生き方「無理をせず控えめに(年来稽古条々・五十有余)」も、閑心遠目に通じていました。「老を宿命的なものとして受け入れ、無理をせず控えめに、一日一日を大切に生きる」そんな観阿弥の老後の生き方は確かに閑心遠目に通じています。


この老人の舞の風趣は特に大事である。体は全く閑か(のどか)でありながら、遊風で舞う所は、老木に花が咲き開いた如くである。閑心(のどかな落ち着いた心)を舞の風趣に連ねていけ。老尼、老女も、これ(老体)に同じである。神さびた(古びた)風趣、閑全な(全くのどかな)風趣も、これ(老体)を出所として用いられる風趣である。
「二曲三体人形図」では、老舞の風趣を「体者閑全にて、遊風をなす」と述べています。これは「のどかに舞い踊る」というほどの意味かと思います。老人がのどかに舞い踊る姿が、老木に花が咲き開いた如くなのです。ただ、これを表現するには、閑心(のどかな落ち着いた心)を舞の風趣に連ねていけといいます。これが大変難しいことは、役者でなくともわかります。年来稽古条々・五十有余に記録されている、死の数日前、観阿弥が駿河浅間神社に奉納した最後の能、その能における舞も「体者閑全にて、遊風をなす」舞だったのでしょう。観阿弥の老骨に残った花が、のどかに舞い踊る中に咲き開いていたのです。老木に花が咲いた如くに。
