日本国においては 二頁

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秦野河勝と聖徳太子
秦河勝は聖徳太子のブレーン(参謀)として国作りに大きな貢献をしたとされています。渡来人である秦氏は高度な技術と豊富な財力を持っていました。秦氏の族長であった河勝は、それを利用して太子との結びつきを強めていったものと考えられます。
京都の太秦にある広隆寺は、河勝が太子から拝受した仏像を安置するために建造した寺です。現在でも飛鳥時代のものと推定される国宝弥勒半跏思惟像が安置されています。境内にある上宮王院太子殿には聖徳太子立像が安置され、太子との関係の深さを伝えています。

六十六番の物まねの伝来
仏在所においてめでたい法要を邪魔する外道を静めた六十六番の物まねは、やがて聖徳太子が活躍した時代の日本に伝わります。
「天下にいささか争乱があった時、秦河勝が聖徳太子に命じられて六十六番の物まねを内裏の紫宸殿で行ったところ、天下が治り、国が平静になった。」つまり「天下太平」を実現したのです。
「申楽」の由来
「申楽」はもともと「神楽」であったものを、「神」という文字の旁である申が暦の「申」であるから「申楽」と名づけた。それは「楽しみを申す」という意味でもある。また「神楽から分かれた」という意味でもある。
この「申楽」という文字の由来が、大和申楽の中で代々言い伝えられてきたものなのか、世阿弥が創作したものなのかはわかりません。ただ、申楽は神仏に由来する楽しみ、めでたさを源流にしたものと考えてよいと思います。
日本の申楽の源流
神代から伝わる「面白さ・楽しさ・めでたさ」の源流である遊学と仏在所から伝わった「太平」の源流である六十六番の物まねが一つになり、その後「申楽」として伝わっていきました。
「聖徳太子、秦河勝に仰せて、かつは天下安全のため、かつは諸人快楽のため、六十六番の遊宴をなして、申楽と号せしよりこのかた、代々の人、風月の景を借つて、この遊びの中だちとせり」「序」より
YuTube 「能の源流」
奈良県立図書情報館が YuTube で「能の源流」と題するチャンネルを配信しています。その中に奈良県立図書情報館の千田稔館長による「秦氏と申楽」と題する講演がなされています。
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