およそ、能の名望を得る事 二頁

PDF247ページ

このたしなみの本意」と「ただ望むところの本意

ここでまた風姿花伝の著作目的が出てきます。「このたしなみの本意をあらわさんがため、風姿花伝を作するなり(大和申楽・近江申楽は言うに及ばず、田楽の芸風までも完璧に演じこなす稽古・工夫の本旨を明らかにするために風姿花伝を著作するのである)。」

ここで奥義篇最初のページ(PDF240)に戻って「ただ望むところの本意とは」について書かれた投稿サイト「奥義編の著述目的」を再読してみてください。

「この風姿花伝は観世の家の子孫に向けて書いたものであるが、この奥義編では、これからの申楽の道、申楽の役者はいかにあるべきかについて、今自分が本当に思っていること(その本音を)語りたい」

「今自分が本当に思っていること(その本音)」それが「この工夫を得たらん為手は、和州へも江州へも、もしくは田楽の風体までも、人の好み・望みによりて、いづれにもわたる上手なるべし」です。つまり「これからの大和申楽の役者は、大和の伝統である物まねはもちろんのこと、近江申楽や田楽の芸風をも学び取り、田舎の大衆、都の貴人、すべて人々の好みや望みに応じて、どんな芸風の演技もすべてこなせなくてはならない」と世阿弥は考えていたのです。

これは子孫に向けて語っただけでなく、今存亡の危機にある大和申楽に向かって投げかけた言葉でした。「今改革せねば大和申楽は滅んでしまう」という危機感を世阿弥は持っていたのです。

継承とは

「序」PDF158ページに書かれていた世阿弥から子孫への最初のメッセージを引用します。「古きを学び、新しきを賞する中にも、全く風流を邪にする事なかれ(古い芸をまね、新しい芸を工夫する中にも、決して過去、現在、未来へと継承されていく芸道の流れを汚してはいけない)。」世阿弥は先人から受け継いだ芸の道をそのままの姿で後人に伝えよ(継承せよ)とはいっていません。それどころか、先人から受け継いだものをそのままの姿で伝える(継承する)ことで芸道の流れを汚してしまうこともあると考えていたのだと思います。物まねに固執する今の大和申楽の姿は世阿弥の目にはそのように映っていたのでしょう。時代の変化に応じて芸の道も変化して当然なのです。「継承とは今の姿をそのまま伝えることではない」世阿弥はそう考えていました。

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