あな醜く賢しらすをすと〈巻三・三四四〉大伴旅人酒を讃むる歌
太宰府で旅人が主催する酒宴の席では多くの歌が詠まれました。この歌も酒を飲んでいればこそ作れた歌です。滑稽を狙って酔いにまかせて作った歌でありながらも、公人としての旅人自身の強い責任感と緊張感があればこそ作り得た会心の一作です。
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歌を深く味わってみます。
「ああ見苦しいことだ、利口ぶって酒を飲まない連中(本音でつき合わない奴ら)の顔をよく見れば、何とまあ猿によく似ていることだ。」
大伴氏は軍事で朝廷に仕えた武門の一族です。旅人も征隼人持節大将軍として九州隼人の反乱を鎮圧するなど武功を立てました。
旅人は大伴氏を率いる一族の長として強い責任感を持っていました。大伴一族を守り一族を繁栄に導くことこそが自分の使命であると考えていたからです。親分肌で一族の者からは、心強い存在として頼りにされていました。
強い責任感と使命感を持った旅人は、常に公人としての自分を第一に行動し、私人としての自分を公人に優先させることがありませんでした。それは緊張の連続する日々だったと想像されます。
そんな旅人にとって、酒を飲む時だけが本当の自分(私人としての自分)に帰れる唯一の時間でした。旅人にとって酒を酌み交わしながら本音で語り合う時間こそが、裏表のない人と人との真の交際だったのです。
ですから、利口ぶって酒を飲まず本音をさらけ出さない人は、人まねして賢そうにする猿に見えたのです。旅人自身も都にいた頃、宮中おける皇族や他の貴族との交際は、常に本心を隠し相手の腹の内を探りながらの交際でした。公人としての旅人は自分自身が常に猿だったのです。
太宰府で旅人が主催する酒宴の席では多くの歌が詠まれました。この歌も酒を飲んでいればこそ作れた歌です。滑稽を狙って酔いにまかせて作った歌でありながらも、公人としての旅人自身の強い責任感と緊張感があればこそ作り得た会心の一作です。