我妹子が見し鞆之浦の室の木は〈巻三・四四六〉大伴旅人

太宰府の長官として家族を伴って九州太宰府に赴任していた大伴旅人が、大納言に昇進して都へ帰る途中に鞆の浦で詠んだ歌です。

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<語句解説>

鞆浦・渡船場沖から望む弁天島

歌を深く味わってみます。

太宰府の長官として家族を伴って九州太宰府に赴任していた大伴旅人が、大納言に昇進して都へ帰る途中に鞆の浦で詠んだ歌です。

旅人は太宰府赴任中に妻を亡くします。

「かって九州の太宰府へ向かう船の中から、都から遠く離れていくことに不安を抱えながら妻とながめた鞆の浦(広島県福山市)の室の木を、今こうして昇進の栄誉を受け都へ帰る船の中から華々しい気持ちで再びながめられるはずだったのに、室の木は変わらずにあるけれども、あの時一緒にそれをながめた妻はもういない」

藤原不比等が病没した後に宮廷内で勢力を失っていた藤原氏は、長屋王の変によって再び勢力を盛り返します。都の宮廷は、藤原氏の勢力に一変していました。

長屋王派の幹部であった大伴旅人が太宰府で詠んだ歌です。

「我が盛りまたをちめやもほとほとに 奈良の都を見ずかなりなむ(私の若い盛りの頃がまた帰って来ることはあるまいよ、もう奈良の都をみることもないだろうよ)」

この歌からは、旅人がもはや都へ帰ることあきらめていたことがうかがい知れます。それだけに、思いがけなく昇進し帰京が許された時の喜びはさぞかし大きかったろうと推測されます。

都に帰り着いた旅人は、懐かしいわが家の庭に植えられた梅の木を見て再び涙を流します。

「我妹子が植えし梅の木見るごとに 心むせつつ涙し流る(妻が植えた梅の木を見るたびに、心が切なくなって涙が流れる)」

室の木、梅の木をながめつつ思い出すのは、在りし日の妻の姿です。変わらずにあるもの(室の木と梅の木)をながめて大伴旅人が感じ取ったのは、人の命のはかなさと人生の浮き沈みだったようです。