士も空しかるべき〈巻六・九七八〉山上憶良
この歌からは、人生への自責の念よりは、重い病に伏せる中での強い生への欲望(執着)が伝わってきます。「まだ死にたくない」これがこの歌に詠み込まれた病に伏せる山上憶良七十四歳の本音だったようです。
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歌を深く味わってみます。
山上憶良の歌です。
山上憶良が病を患った時、藤原八束の使者として見舞いに来た河辺東人への答礼の歌です。
「男子として生を受けた限りは、後世に名を残すことのない空しい生涯を終えてなるものか、子々孫々、末代までも語り継がれるような立派な名を残さずに死ねようか」
この時、山上憶良は七十四歳でした。当時としてはかなりの高齢で、今の感覚でいえば百歳くらいの年齢でしょうか。これまでの長い人生を振り返った時、これといって後世に伝えられるだけの業績をあげていないことへの自責の念が歌にされています。
しかしこの歌からは、人生への自責の念よりは、重い病に伏せる中での強い生への欲望(執着)が伝わってきます。人間の欲望と不安は表裏一体です。欲望が強いほど不安も強く、強い不安は強い欲望の裏返しです。憶良の強い生への欲望は死への強い不安の裏返しでした。
「まだ死にたくない」これがこの歌に詠み込まれた病に伏せる山上憶良七十四歳の本音だったようです。