旅人の宿りせむ野に霜降らば〈巻九・一七九一〉遣唐使の母が子に贈れる歌

遣唐使に選ばれることは大変名誉なことでした。しかし、同時にそれは大変な危険をともなう旅でもありました。無事帰国できるかどうかは、人智を超えた運が大きく作用します。ですから「体に気をつけて」「しっかり勉強してくるのですよ」などと気遣いや励ましの言葉をかけるわけもなく、ただ我が子の無事を祈るだけだったのです。

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<語句解説>

歌を深く味わってみます。

遣唐使の一員として唐へ派遣される若者の母が、船が難波の港を出立しようとするその時にこの歌を詠んで子に贈りました。

「たとえこの船が無事に唐の港に着いたとしても、唐の都までの過酷な旅が続くことでしょう。もしこの一行が霜の降りた寒い野原に野宿するようなことがあったなら、空を舞う鶴達よ、地上に降り立ちどうかその大きな羽を広げて私の子を温めておくれ。」

母の深い愛情が詠み込まれた美しい歌です。

遣唐使に選ばれることは大変名誉なことでした。しかし、同時にそれは大変な危険をともなう旅でもありました。無事帰国できるかどうかは、人智を超えた運が大きく作用します。ですから「体に気をつけて」「しっかり勉強してくるのですよ」などと気遣いや励ましの言葉をかけるわけもなく、ただ我が子の無事を祈るだけだったのです。

「遣唐使に選ばれた時にその名誉をあれほど喜んでくれた母が、今、出立にのぞんでただ旅の無事だけを祈ってくれている」名誉や栄達よりも大切なものがある。それに気づくことも野心に満ちた若い遣唐使には必要です。

この歌に詠まれたのは、天平五年・733年の多治比広成を大使とする第十次遣唐使です。この時は4隻の遣唐使船で船団が組まれ、唐へ派遣されました。船団は第3船が帰途に難破してベトナムに漂着し、百余名の乗組員のうち四名のみが4年後に唐に戻りました。第4船は難破して行方不明となりました。

遣唐使船・Wikipedia