帰りける人来たれりと〈巻十五・ 三七七二〉中臣朝臣宅守と狭野茅上娘子の贈答歌

「あの人が帰って来たんだ」狭野茅上娘子がうれしさのあまり家を飛び出し、恩赦で帰京した人達がいる方へ駆け出して行く姿、そして中臣宅守がその中に含まれていないことがわかった時の彼女の落胆の表情、それらが映画のワンシーンの如くに目に浮かびます。この歌には「しかしあなたはいなかった」という言葉にできない悲しみが込められているからこそ人の心を打つのです。「ほとほと死にき君かと思ひて」この言葉に込められた悲しみがこの歌の言霊です。

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<語句解説>


歌を深く味わってみます。

天平十二年(740年)恩赦の詔が発せられました。しかしこの時の恩赦に中臣宅守は含まれていませんでした。

「『恩赦で罪を許され都に帰って来た人達がここへ来ていますよ』そう叫ぶ声が聞こえ、死ぬかと思うほどうれしかったのに、あなたが帰ってきたと思って」

「あの人が帰って来たんだ」狭野茅上娘子がうれしさのあまり家を飛び出し、恩赦で帰京した人達がいる方へ駆け出して行く姿、そして中臣宅守がその中に含まれていないことがわかった時の彼女の落胆の表情、それらが映画のワンシーンの如くに目に浮かびます。この歌には「しかしあなたはいなかった」という言葉にできない悲しみが込められているからこそ人の心を打つのです。「ほとほと死にき君かと思ひて」この言葉に込められた悲しみがこの歌の言霊です。

越前へ流罪となった中臣宅守は、翌天平十三年(741年)に罪を許され帰京します。帰京後に二人が仲睦まじく暮らしたかどうかは記録に残っていませんが、この三つの歌を読んだ誰もが二人の末長い幸福を願わずにはおれません。