花を伝える書「風姿花伝」・ 世阿弥の文章の魅力

花を伝える書「風姿花伝」

世阿弥は言葉使いの天才で、舞台上で咲く様々な芸の魅力、役者が観客に与える感動を「花」と表現しました。それらは「時分の花」「声の花」「幽玄の花」「まことの花」「年々去来の花」「秘する花」「因果の花」と実に多彩で趣深い表現です。風姿花伝が「花伝書」とも呼ばれる理由はそこにあります。

世阿弥が表現する花には、咲く花のようにやがて散ってなくなる花と、役者が思いのままに咲かせ、散らすことができる花があります。世阿弥は後者を「まことの花」であるといいます。それは能の技の数々を種として心の工夫で咲かせる花なのです。

世阿弥は亡くなる半月前の父観阿弥の最後の芸に「まことの花」を見ました。

世阿弥の文章の魅力

室町時代に世阿弥が綴った風姿花伝は、趣がありながらも歯切れのよい文章が随所に登場する名著です。ただしその文章の魅力は、原文をそのまま読んでこそ味わえるものです。現代語訳では味わえない文章の魅力が、声に出して読む原文の響きの中には確かにあります。声に出して読み終えた後、「うーん、お見事」と思わず膝を打つような文章、それが世阿弥の文章です。

私たちは、この先人によって読み継がれてきた「原文をそのまま読んでこそ味わえる文章の魅力」これを後世に伝えていかねばなりません。

ここでは、風姿花伝の一節である世阿弥が父観阿弥の老後の芸の様子を記した文章をご紹介します。この文章は、現代語訳だけを読むとただの普通の文章です。それが原文を声に出して読むと、なんとも言えぬ味わいのある見事な文章であると感じられます。

原文と現代語訳を照らし合わせて大体の意味を理解したら、下の画像をクリックまたはタップして朗読音声を何度か繰り返し聴いてください。それから自分で何度も声に出して読んでください。すると、老木に咲いた花のごとくに、無理をせず控えめに舞演じる観阿弥の姿がまぶたに浮かび上がってきます。

下の画像の文章は、電子書籍 風姿花伝の「風姿花伝第一 年来稽古条々 五十有余」より、その一部を抜粋しました。

下の画像をクリック又はタップすると朗読音声が流れます。

富士山本宮浅間大社・Wikipedia

「易き所を少な少なと」生きる老後

「易き所を少な少なと(無理をせず控えめに)」これが観阿弥の老後を生きる指針だったようです。老後を生きる観阿弥は、芸だけでなく何事においても「無理をせず控えめに」を常に心がけていたのだと思います。五十二歳と言えば、今ならば働き盛り、人生まだまだこれからという年齢ですが、当時は人生五十年が当たり前でした。観阿弥は、五十歳を過ぎた頃から、一日一日を大切に、いつ死が訪れてもよいように心の準備を始めていたのだと思います。

高齢化社会を迎え長生きが当たり前になった今の日本では、みんな若さを維持すること、若さを取り戻すことにやっきになっています。「まだまだ若いものには負けんぞ」という気概を持って生きることも一つの生き方でしょうが、「易き所を少な少なと(無理をせず控えめに)」という生き方の中にこそ咲く花もあるのです。上の文章は「老後の生き方は観阿弥に学べ」と私たちに伝えているようにも思えます。

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