夏目漱石の「君子論」・「才子」と「君子」
夏目漱石が作家となる前、旧制松山中学の英語教師だった時の文章です。
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教師に叱られたからといって、自分の値打ち(人間的価値)が下がったなどと思う必要はない。逆に褒められたからといって、自分の値打ち(人間的価値)が上がったと得意になってもいけない。鶴は飛んでも寝ても鶴であり、豚は吠えても呻っても豚である。人からの悪口と称賛によって変化するのは世間の評判であって、自分自身の値打ち(人間的価値)ではない。人からよく見られるために世を渡っていく者を才子と言い、自分自身の人間としての値打ち(人間的価値)を基準に物事を行う者を君子という。よって才子には栄達する者が多いが、君子は落ちぶれることを意に返さない。
「愚見数則」は、夏目漱石が愛媛県松山市の松山中学に教員として赴任していた時、校内誌に発表されたものです。中学の生徒に向けて書かれたもので、当時漱石は二十九歳でした。この年漱石は熊本の第五高等師範学校へ転任していますから、転任に当たり教え子たちに書き残したものと思われます。
「愚見」とは「愚かな意見(謙遜表現です)」、「数則」の「則」は「きめごと、きまり」という意味です。「愚見数則」は、漱石が心に定めた自分自身の生き方の指針をいくつか列挙(紹介)するという意味です。。
明治時代の中学では、このような文章を教師が生徒に示していたのです。もちろん漱石だから書き得た文章かもしれませんが、生徒に示した内容でありながら、漱石自身の、そして明治人の気質がうかがい知れる名文です。
この文章を読むだけでも、漱石に限らず明治人の生き方には江戸時代から続く儒学の思想が大きく影響していることが見て取れます。