田児の浦ゆうち出でて見れば真白にそ〈巻三・三一八〉山部赤人 反歌

前の長歌に添えられた反歌です。百人一首にも選ばれた名歌で、富士を詠った和歌の代表として古来より多くの人に暗誦されてきました。赤人が伝えたかったのは自分自身の感動です。前の長歌と同じくこの短歌でも自分の感動を伝えるという方法で、頂きに真っ白な雪をかぶり泰然とそびえ立つ富士の勇壮で神々しい姿を歌に閉じ込めたのです。

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<語句解説>

歌を深く味わってみます。

前の長歌に添えられた反歌です。百人一首にも選ばれた名歌で、富士を詠んだ和歌の代表として古来より多くの人に暗誦されてきました。

「田子の浦を抜けるとそれまで閉ざされていた視界が一気に開けて眺望のよい場所へ出た。すると目の前に頂きに真っ白な雪をかぶった巨大な富士の山が突然現れ、その勇壮で神々しい姿にただただ圧倒されるばかりであった」

遠方に小さく見えていた富士山が近づくにつれ徐々に大きく見えてきたのではありません。田子の浦を抜けるとそれまで閉ざされていた視界が一気に開け、目の前に頂きに雪をかぶった巨大な富士山が突然現れたのです。こんな富士との出会いは圧巻だったろうと思います。「うち出でて見れば」という言葉に赤人のその感動が込められています。

写真やテレビで富士山を見慣れた私達現代人には、頂きに雪をかぶった富士山はもはや当たり前の景色に過ぎません。しかし万葉人の赤人には圧倒される程に勇壮で神々しい景色として心に刻まれたのです。

赤人が伝えたかったのは自分自身の感動です。前の長歌と同じくこの短歌でも自分の感動を伝えるという方法で、頂きに真っ白な雪をかぶり泰然とそびえ立つ富士の勇壮で神々しい姿を歌に閉じ込めたのです。

東海道江尻田子の浦略圖 冨嶽三十六景