天平二年正月十三日に〈巻五〉 梅花の歌三十二首并せて序

元号「令和」が出典された万葉集卷五「梅花の歌三十二首并せて序」漢文で書かれた序の書き下し文です。「令和」は「初春令月、気淑風和・初春の令月にして、気淑く風和ぎ(初春の何をするにもよい頃で、大気は澄み渡り風は穏やかで)」から令と和の二文字が取られました。

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<語句解説>

梅園の梅

歌を深く味わってみます。

新元号「令和」が出典された万葉集卷五「梅花の歌三十二首并せて序」漢文で書かれた序の書き下し文です。

天平二年(730年)正月十三日、太宰師(太宰府の長官)であった大伴旅人が主催して梅の花を観賞しながら和歌を詠む「梅花の宴」が開かれました。酒を酌み交わしながら季節の花や月を題材に詩を詠む詩宴は、中国では初唐の頃から文人達によってしばしば催されていました。こうした詩宴では、参加者が作った詩に宴の主催者又は代表者が序を書く慣しがありました。最も知られているのが李白の「春夜、桃李の園に宴するの序」です。その書き出し「夫れ天地は万物の逆旅にして光陰は百代の過客なり」は、松尾芭蕉が「奥の細道」の書き出しに、井原西鶴が「日本永代蔵」の書き出しにそれぞれ引用し、日本でも名文として広く知られています。この「梅花の宴」も中国の詩宴にならったもので、序は旅人によって書かれたと推測されています。(山上億良とする説もあります。)

元号「令和」は「初春令月、気淑風和・初春の令月にして、気淑く風和ぎ(初春の何をするにもよい頃で、大気は澄み渡り風は穏やかで)」から令と和の二文字が取られました。

漢字二字で表記する元号は前漢武帝の時代(紀元前115年頃)に中国で始まり、日本は飛鳥時代にそれを取り入れました。日本最初の元号は「大化」、あの645年の大化の改新の大化です。蘇我氏を倒して天皇中心の政治を確立し、国家としての体制を整えていった大化の改新は、大化の二文字が示すが如く日本史における最初の大きなターニングポイントでした。元号は単なる時を表す記号ではありません。元号には時代を導く言霊が宿っており、それはその時代を生きる人々の生き方の指針でもあります。司馬遼太郎は小説「坂の上の雲」で、明治人の生き方を次のように表現しました。「彼らは、明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。上っていく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて坂を上ってゆくであろう。」明治という元号に宿った言霊は、前をのみ見つめながら歩く明治人の体質そのものであり、それが明治という時代を牽引していったのです。

今、新しい令和という時代を迎え、新しい時代に私たち日本人が何を託し、それをどのように拠り所にして生きていくかということが問われているのだと思います。

大伴旅人が主催した梅花の宴が、酒を飲むことと詩を作ることのどちらを主にしたものだったかは、参加者それぞれによるのかもしれません。けれども、和歌、連歌、俳句と続く日本の歌の道は、こうした皆が集まり打ち解けた雰囲気の中で作る楽しさを通して伝わってきたのであり、万葉の詩宴がその出発点だったようです。歌の道に限らず、文化とは楽しさを通して伝わっていくものではないでしょうか。室町時代に日本の伝統芸能である能を大成させた世阿弥は、その著「風姿花伝」の序において猿楽(能)の歴史を語る中で、「代々の人、風月の景を借つて、この遊びの中だちとせり。(その時代その時代の人々が、花鳥風月の景色を愛でることに名を借りて、この遊び(猿楽・能)を伝えてきたのである。)」と述べています。猿楽(能)は、花鳥風月を愛でる遊び(楽しさ)として伝わってきたのです。歌であれ芸であれ、文化の底には楽しさという共通のものが流れており、その流れに乗って後世に伝わるのです。

旅人が開いたこの梅花の宴には様々な立場の人達が参加していました。中には大伴氏と鋭く対立していた藤原氏寄りの人達もいました。又参加者の身分もそれぞれでした。しかし、そうした政治的な対立や身分の上下に関わらず、この梅花の宴では参加者全員が胸襟を開いて打ち解け合い、酒を酌み交し、梅を愛でて歌を詠い合ったのです。新元号・令和には、この梅花の宴から漂ってくる、そんな和気あいあいとした楽しさが込められていると考えたいものです。どんな時代にも政治的な対立、経済的な利害の衝突など、対立と衝突は避けられません。しかし、いかに対立し衝突しようとも、同じ日本人同士、いざとなれば胸襟を開いて打ち解け合い、和気あいあいと文化を楽しむのです。日本文化はそんな楽しみの中で育まれてきました。狭い茶室で戦国の武将達が心を一つにして茶を楽しんだ茶の湯は将にその典型ではありませんか。

私達が伝統文化を継承しつつ、新しいものを模索していくならば、そこには必ず楽しさが存在します。それは温故知新の楽しさです。令和の時代が、和気あいあいとした、楽しみ多き温故知新の時代であることを切に願わずにはおれません。