春の野にすみれ摘みにと来し吾ぞ〈巻八・一四二四〉山部赤人

春に咲く花は多いけれど、私たち日本人にとって、野に咲くすみれは桜とは違った意味で特別の存在です。「桜の花咲く頃」と「すみれの花咲く頃」では、季節は同じ春でも私たちの感性が受け取る春のイメージは異なります。「清楚で可憐な春」そんな春を味わうのに、お酒も、歌も、友もいりません。一人で野に寝そべって、研ぎ澄まされる五感に身と心をまかせればよいのです。

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<語句解説>

すみれ

歌を深く味わってみます。

山部赤人が春を詠った二首(この歌と次の歌)を取り上げました。

「日差しが温かく感じられるようになった春の午後、すみれを摘みに野に出かけてみた。春の野に寝そべっていると、閉じた目にもまぶしい明るい空、萌え出たばかりの若草の匂い、空から降ってくるヒバリの声、頬にあたるやわらかな南風、口に含んだすみれのほろにがい味、五感すべてが春を感じている。『ああ、また今年も春がやって来たんだ』となつかしいこの感覚に浸っていると、いつしか眠くなりそのまま一夜を明かしてしまった」

赤人は一人で野にやって来たのだと思います。一人で野に寝そべっていると自然に五感が研ぎ澄まされ、それぞれの感覚にそれぞれの春がやって来ます。その感覚の総和が赤人にとっての「なつかしい野の春」なのです。

当時すみれは春の味として食されていました。

春に咲く花は多いけれど、私たち日本人にとって、野に咲くすみれは桜とは違った意味で特別の存在です。「桜の花咲く頃」と「すみれの花咲く頃」では、季節は同じ春でも私たちの感性が受け取る春のイメージは異なります。「清楚で可憐な春」そんな春を味わうのに、お酒も、歌も、友もいりません。一人で野に寝そべって、研ぎ澄まされる五感に身と心をまかせればよいのです。