楽浪の志賀の辛崎幸くあれど〈巻一・三十〉柿本人麻呂 反歌

伝え聞く戦争の記憶とは、その戦争全体に関するものではなく、戦争の中の一場面です。それは圧倒的な勝利の戦いであったり、逆にもっとも悲惨な出来事であったりします。

この解説サイトは電子書籍にリンクが貼られていますが、電子書籍をダウンロードせずに読まれる方(主にスマートフォンで読まれる方)のために、電子書籍の表紙とページの画像、語句解説、朗読音声などが含まれています。

パソコン(Windows・Macintosh)又はiPadで読まれる方は、電子書籍をダウンロードしてお読みください。ダウンロードサイトは右サイドバーに表示されたURLをクリック又はタップすると起動します。

下のページ画像をクリック又はタップすると朗読音声が流れます。

下のページ画像で現代語訳を確認してください。

<語句解説> をクリック又はタップすると、
本文中の重要語句について解説しページが開きます。

語句解説

歌川広重・唐崎の夜雨(Wikipedia)

歌を深く味わってみます。

「琵琶湖の港、志賀の辛崎は、今も変わらず様々な船が出入りしているが、大津宮にお仕えした人々を乗せた船は、あの大乱は終わったのに、いくら待っても帰ってこない」

伝え聞く戦争の記憶とは、その戦争全体に関するものではなく、戦争の中の一場面です。それは圧倒的な勝利の戦いであったり、逆にもっとも悲惨な出来事であったりします。

壬申の乱で戦いを有利に進めた吉野方(大海人皇子方)は、最後、大津宮に攻め入ります。その時、大津宮に仕える人たちは、志賀の辛崎から船で脱出を図ったのだと思います。そこには多くの女官たちも乗船していました。しかし、その船も吉野方の攻撃で沈み、多くの大宮人が亡くなります。その悲惨な出来事を悼んで詠んだ鎮魂の歌ではないかと思います。