楽浪の志賀の辛崎幸くあれど〈巻一・三十〉柿本人麻呂 反歌
伝え聞く戦争の記憶とは、その戦争全体に関するものではなく、戦争の中の一場面です。それは圧倒的な勝利の戦いであったり、逆にもっとも悲惨な出来事であったりします。
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歌を深く味わってみます。
「琵琶湖の港、志賀の辛崎は、今も変わらず様々な船が出入りしているが、大津宮にお仕えした人々を乗せた船は、あの大乱は終わったのに、いくら待っても帰ってこない」
伝え聞く戦争の記憶とは、その戦争全体に関するものではなく、戦争の中の一場面です。それは圧倒的な勝利の戦いであったり、逆にもっとも悲惨な出来事であったりします。
壬申の乱で戦いを有利に進めた吉野方(大海人皇子方)は、最後、大津宮に攻め入ります。その時、大津宮に仕える人たちは、志賀の辛崎から船で脱出を図ったのだと思います。そこには多くの女官たちも乗船していました。しかし、その船も吉野方の攻撃で沈み、多くの大宮人が亡くなります。その悲惨な出来事を悼んで詠んだ鎮魂の歌ではないかと思います。