やすみしし わご大君の 高知らす<巻六・九二三>

神亀二年(725年)聖武天皇が吉野の宮へ行幸された時に、同行した山部赤人が詠んだ長歌です。山部赤人は、宮廷歌人にして万葉第一のナチュラリスト(自然派歌人)であり、吉野の自然を大らかに詠いつつ、天皇家の安泰をその中に巧みに詠い込めています。

この解説サイトは電子書籍にリンクが貼られていますが、電子書籍をダウンロードせずに読まれる方(主にスマートフォンで読まれる方)のために、電子書籍の表紙とページの画像、語句解説、朗読音声などが含まれています。

パソコン(Windows・Macintosh)又はiPadで読まれる方は、電子書籍をダウンロードしてお読みください。ダウンロードサイトは右サイドバーに表示されたURLをクリック又はタップすると起動します。

下のページ画像で現代語訳を確認してください。

<語句解説> をクリック又はタップすると、
本文中の重要語句について解説したページが開きます。

<語句解説>

吉野宮滝遺跡・Wikipedia
Wikipedia

歌を深く味わってみます。

今では桜の名所として知られる吉野ですが、大和の国のすぐ南に位置し、風光明媚な土地であるため、古代より離宮が置かれ、天皇が行幸されることしばしばでした。古くは応神天皇が吉野の宮に行幸したことが日本書紀に記されています。

吉野の宮(吉野離宮)は、吉野町宮滝に宮滝遺跡としてその痕跡を今に残しています。

万葉集では、山部赤人だけでなく、多くの歌人が吉野の地を歌に詠んでいます。しかしなんと言っても、吉野は、壬申の乱、南北朝の争いの舞台として日本史に登場する地です。いずれも天皇家の皇位継承をめぐる乱と争いであり、都以外では皇室と最も関わりのある土地と言えるかもしれません。

神亀二年(725年)聖武天皇が吉野の宮へ行幸された時に、同行した山部赤人が詠んだ長歌です。山部赤人は、宮廷歌人にして万葉第一のナチュラリスト(自然派歌人)であり、吉野の自然を大らかに詠いつつ、天皇家の安泰をその中に巧みに詠い込めています。

吉野の宮を囲む青い山々に生茂る木々のように天皇家がますます繁栄しますように。吉野の宮の側を流れる吉野川の流れのように天皇家が絶えることなく永遠に継承していきますように。天皇家にお仕えするわれら大宮人は、これからもいく世にも渡ってこの吉野の宮に通い続けるであろう。

吉野の自然を賛美する中に、天皇家への永遠の忠誠を詠っています。