天飛ぶや軽の路は吾妹子が里にしあれば〈巻二・二〇七〉柿本人麻呂

柿本人麻呂の長歌です。離れて暮らす妻が亡くなったという突然の知らせを聞き、泣血哀慟(血の涙を流して泣き叫んで悲しむ)の悲しみが、妻への愛しさをいっそう深めていく心情を歌にしています。

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<語句解説>

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柿本人麻呂の長歌です。

離れて暮らす妻が亡くなったという突然の知らせを聞き、泣血哀慟(血の涙を流して泣き叫んで悲しむ)の悲しみが、妻への愛しさをいっそう深めていく心情を歌にしています。

地上に落ちた紅葉の葉が霜を覆い隠す晩秋の朝、軽の地より妻の死を知らせる使いが来た。私はただ茫然と立ちすくむだけで声が出ない。最後に会った日、いつもなら私をただ笑顔で見送るだけの妻が、「今度はいつ会える」と私に問うた。いつもとは違う何かを感じたのだが、「またすぐに来るよ」と曖昧に答えて立ち去ってしまった。沿道の萩の花が満開の頃だった。「なぜあの時に気づかなかったのか」後悔の思いが湧き上がる。あれからの私は、忙しさより人目を憚り、いつでも通える軽への道を遠ざけていた。あれほど妻を愛しながら、妻の存在が人に知られることを恐れていたのだ。一時わかれてもまたからみ合うあの狭根葛のように、今は離れ離れでも、もう少し待てばまた会える。そう信じて時の経つのを待っていた。もうそろそろ大丈夫だろう。明日妻に会いに軽の地へ向かうつもりだった。その矢先に届いた悲しい知らせだった。今は一足でも妻に近づきたいと、私は軽への道をただひたすら歩き続けた。気がつけば、妻がいつも一緒に行こうとせがんだ軽の市に立っている。耳をすませて妻の声を探したが、妻の声は聞こえてこない。行き交う人は、誰一人として妻に似た人はいない。「妻が私に気づいてくれるかもしれない」とそう思った瞬間。私は妻の名を大声で呼びながら一心不乱に衣の袖を大きく振っていた。

当時は男性が女性の所へ通う通い婚が一般的で、ある程度の有力者は複数の女性の元へ通っていました。ですから人麻呂が軽の地に住む女性の元へ通うことは、それ自体はなんら普通のことなのですが、その妻の存在を知られたくない何か特別の事情があったようです。その理由をあれこれ詮索してもしかたありません。この長歌が人の心を打つのは、突然の妻の死による深い悲しみが、妻への愛をいっそう深めていることです。人麻呂が泣血哀慟と表現した深い悲しみは、その死後であっても妻への愛をいっそう深めていきました。人目を憚り会うチャンスを逃したことへの後悔、妻のメッセージに気づけなかった後悔、後悔は悲しみを増幅させます。そして悲しみが深まれば深まるほど「もう一度会いたい」という思いが大きくなるのです。「もう一度会いたい」この思いこそが深い悲しみに裏打ちされた妻への愛なのです。

畝傍山(軽の地は畝傍山の近くにありました。)・Wikipedia