わたつみの豊旗雲に入日さし〈卷一・十五〉中大兄皇子
「夕刻、海をながめると、豊かに旗のようになびいている勇壮な雲に入り日が差し込み、明るく大らかで神々しい景色が広がっている。きっと今夜は月が明るく澄み渡った夜であることだろう」
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歌を深く味わってみましょう。
新羅征伐の途中に立ち寄った播磨の国で詠んだ中大兄皇子の歌です。
「夕刻、海をながめると、豊かに旗のようになびいている勇壮な雲に入り日が差し込み、明るく大らかで神々しい景色が広がっている。きっと今夜は月が明るく澄み渡った夜であることだろう」
目の前に広がる明るく大らかで神々しい夕日の情景が、今夜の澄み渡った月明かりの夜を暗示しています。
科学が未発達なこの時代、神秘的な暗示は未来を予測する重要な手がかりでした。古代日本神話で海の神を意味する「わたつみ」、勇壮な神の進軍をイメージさせる「豊旗雲」、神の力強いパワーが注ぎ込まれるような「入日さし」といった言葉からは、中大兄皇子がこの情景を神秘的な暗示と受け取っていたことをうかがわせます。視覚がとらえた情景を心のままに歌にすれば、暗示は言霊となって歌に宿るのです。中大兄皇子の神秘主義が強く現れた歌です。
弘法大師空海は四国室戸岬の洞窟で悟りを開きました。洞窟で修行中の空海の口に突然明星の光が飛び込みその瞬間に悟りが開けた伝えられています。そして、その洞窟から見える景色が空と海だけだったことから自らを空海と名乗りました。空と海と光は神秘的な暗示(神の啓示)を呼び起こす源なのかもしれません。
「あきらけくこそ」この言葉は語句解説にある通り、原文の万葉仮名では「清明己曾」と表記されています。古来から種々に訓読されてきましたが、「あきらけくこそ」は賀茂真淵による訓読です。「清明己曾」この万葉仮名は、単に月夜の明るさだけを表現しているのではありません。「清く澄み渡った明るさ」「清明で透き通った明るさ」それは「神聖にして清浄な明るさ」です。「こよひの月夜あきらけくこそ」は「今夜の月は神聖にして清浄な光で辺り一面を清く澄み渡らせることだろう」こんな神秘的なイメージを膨らませてもよいかと思います。
恐らくこの夜は大切な神事(神を祀る儀式)が執り行われる予定だったのでしょう。中大兄皇子は皇太子としてその神事を主催する立場でした。「今夜の神聖にして清浄な月の光は、諸々(もろもろ)の禍事(まがごと)・罪・穢れを祓い、神事を清く厳かなものにしてくれるだろう。」
「清明己曾」この四文字の万葉仮名には、神聖にして清浄な月の光の霊力が言霊となって宿っています。
<電子古典読書会> 山部赤人と賀茂真淵が仰ぎ見た霊峰富士
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